山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ファンタジーの覚悟。

ちょっと余裕ができたので、映画を2本見た。
昨日は、恵比寿で「パンズラビリンス」、今日は渋谷で「転々」。

まずは、「パンズラビリンス」から。深い知識なく、たまたま恵比寿にいたので、見たのだ。アカデミー賞をいくつかとっているというくらいの知識はあったので。予告編は何度か見ていて、ハリポタとまではいかなくても、なんか少女のファンタジーという印象だった。たまには、こういうしっかりした物語性のあるものを見ようと。

いやあ、ハードな内容だった。私に子供がいて、ハリポタみたいだと思って連れていったら後悔しただろう。
子供が見るには、リアルすぎる。これって、ファンタジーの形をかりた、スペイン内乱時のゲリラと軍隊の闘いのお話なのだ。かなり残酷なシーンもあるし、全体的に暗くて希望がないし。(いや、希望はあるかもしれない。なぜなら、フランコ政権は倒れたわけだし)。

しかし、ファンタジーの原点ってもしかして、こういうものではないかとしみじみ思った。死んだ妻が甦るとか、過去に戻って人生やり直すとか、いろいろあるけど、ファンタジーが生まれるベースというのは、リアルな世界では、きつすぎる、あるいは、幻想に頼るしかやっていけないくらい不幸である、ということだ。「パンズラビリンス」はまさにそういうお話。

主人公の少女オフェリアは、母の再婚で、ゲリラと闘う軍人の新しい父の元へ行く。そこでは、残虐な闘いが行われている。新しい父の大尉は、いや~な人間で、無実の農民をばんばん殺す最低のひとだ。さらに、母は臨月を向かえているけれど、体調がすこぶる悪い。

こんな環境のなかで、オフェリアは、幻想の世界に生きるしかない。愛読書に出てくるような幻想の世界があって、自分はそこの王女だと想像するのだ。そして、自分自身に試練を与え、それを乗り越えることで、母の病がなおり、ここから脱出できると夢想する。彼女の願望が、幻想の世界の案内人、パンを作り上げたと言える。結局、母はお産で亡くなり、義父からは、「敵が来たら、この子から最初に殺せ」と言われるありさま。しかし、ゲリラたちの活躍で、彼の基地は占拠される。だが、その少し前に、オフェリアは義理の父に撃ち殺される。なんて、救いのない話だろう。

けれども、オフェリア自身は、自分に起きた悲惨な物語を、自分で作り上げたファンタジーを生きることで、悲惨な物語から、王女の勤めを果たした物語に読み替えることができる。だから、彼女は、死の間際に幸せに微笑むことができるのだ。

なんともハードで悲しいお話だけれども、ファンタジーってこれくらいの覚悟で作ってほしいと思う。なんでもありの世界のファンタジーは底が浅いような気がしてどうも好きじゃないから。しかし、見終わるとぐったり疲れた。すべての物語は時代と無関係ではいられないはず…と思うのは私だけ?

長くなりました。たいへん面白かった「転々」(三木聡監督)の感想は、明日。なんか、よかったなー。