山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

手を繋ぐことに溺れるな。

一日一更新を確実にするために、アップした時間と日付は微妙にちがいます。これは、20日分。でも、これからは、オンタイムで更新できるようにしたいな。しょこたんみたいに…って、いい年してなにを言うか。

睡眠ぐるぐる生活ですが、ちなみに、昨日は、午後11時にうたたねし、そのまま、午前四時までソファで寝ました。で、午前四時に起きて、ブログ更新してから、小説書きました。午前7時に、お腹がすいて、朝ご飯を食べました。

午前7時に食べる朝ご飯。すごいひさしぶりで、感激でした。外は明るいし、J-WAVEを聞いてたんですけど、朝の番組で。いつも自分、朝ご飯食べてるとき、ピストン西沢さんと文香さんのやりとり聞いてるもんだから、新鮮だった。

で、その後、午前11時まで仕事して、寝ました。起床は午後4時です。そして、それ以来、起きてます。えっと、12時間は起きてる。もう、めっちゃくっちゃです。とはいえ、一応、12時間起きて、5時間寝るっていうタイムテーブルでやってるのかもしれない。

まあ、そんな生活はどうでもいいとして、インターネットってやっぱりいろんなものを変えたなーとしみじみ。テレビってもう、いらなくなってるよなあ、パソコンがあればテレビも見られるし。オンタイムである必要がないわけだから、ほんとは視聴率ってのものが意味なくなってるんだけど、まだまだ、この数字信仰は強いけれども。

しかし、自分の生活を顧みると、ネット上でしょっちゅうやりとりしているひととは、結局、会うようになるんだよな。SNSでお互いの近況を詳しく書きあってるひととは、年末、次々とあった。もっと会ってはなしたいよね…って気分になるから。もし、SNSでやりとりしてなかったら、一度仕事しただけの相手とかは、どんどん距離があいて、わざわざ会おうってことにはならないと思う。そこいくと、ネット上の日記でお互いのこと詳しく知ってるから、久しぶりにあっても、話は盛り上がるし、知らない部分もあらかじめ知っておけるので、会話がはずむし、楽しいんだよなー。それが、自分にとって、大きなメリットであった。

もちろん、コアなやりとりがいいことばかりでもないだろうけど、そこらへんはまあ、案配だし。

さっきまで、舞台の脚本、書いてました。やっと終わった。やっとっていっても、午前3時から始めたから、3時間くらいか。このあと、もう少し小説書いて、寝ようと思う。

しかしながら、このネット時代に、草思社や新風舎などそれなりに大きな出版社がつぎつぎと倒産する時代に、小説っていったい、どうなっていくんだろう。まあ、メディアがどんな風に変わろうとも、基本の物語が必要なくなる日はこないでしょうから、形は変わっても、存在し続けるとは思うけど、多くのひとを喚起する作品ばかりが是とされるのは、やっぱり、あんまし、面白くないなーと思うのでした。

たくさんのひとと、手を繋ぐことは、とても悲しいことだから。

これは、第三舞台の「朝日のような夕日を連れて」という舞台(80年代)のなかに出てくるセリフ。

一般的に、「手をつなぐ」ってことは、「つながる」ってことを意味して、「よきこと」として語られるけど、ほんとかな?って思うのよね。手をつないだくらいで、つながってる…なんて思っていいのかよ、そんなに安易に得られるものに、身をゆだねていいのかよ、という思いがある。

たくさんのひとと、手を繋ぐことは、とても悲しいことだから。

今でも、わたしはそう思ってる。

自分の小説「すべては海になる」のセリフ。

「手をつないだくらいで、満足していいの?」「手なんか」

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