山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

スーパーモデルと離婚した男

先日来、小説「リップスティックジャングル」について書いているわけですが、(小説の詳しい内容については、数日前の日記「誰もみたことのない世界」を読んでね)、物語の終盤に、タイトルに書いた「スーパーモデルと離婚した男」こそ、案外理想の相手ではないか?というくだりが出てくる。

ざっと復習すると、「リップ」(便宜上このように省略する)の主人公は40代の女性三人。そのうちのひとり、映画会社の社長、ウエンディには、ハンサムで年下の夫と三人の子供がいる。夫は、元はシナリオライターだったけど、売れないので、現在は専業主夫。家事と子育てをしている。が、ある日、「こんな人生、俺の本当の人生じゃない」と言って、ウエンディに離婚を宣言する。ウエンディの作品がオスカーの候補にあがり、仕事として、のりに載っている時の、まさかの離婚通告。ウエンディはたいへんな打撃を受ける。結婚も仕事も成功もとろうとした女は罰せられるのか?という今となっては、多くのキャリア女性が一度ははまる暗闇に落ちるのである。

が、結果、オスカー三部門とったウエンディは離婚。そして、次に現れたのが、同世代で、別会社の社長で、「スーパーモデルと離婚した」男なのだ。つまり、スーパーモデルとの結婚という、男の夢を経たやつほど、信頼できるんじゃね?ってことなのだ。ううむ。気持ちはわかる。そして、実際、そうかもしれない。スーパーモデルと結婚するくらいだから、それだけの知力と財力と魅力のある男だったわけで、でも、「美人ならなんでもOK」という病をくぐり抜けたあとだから、これほど、安心な男はいない…というわけだ。

実はスーパーモデルじゃないけど、「モデルと離婚した男」となら、まあ、つきあったことあるんですう。(痛い過去だ)。結論からいうと、ちっとも「買い」じゃなかったなー。モデルに未練タラタラだったしな。
しかし、「スーパーモデルと離婚した男」というコンセプトは面白かったのでした。

そして、ウエンディはふたりの男を連れて、公の場所(親友のファッションデザイナーの発表会だったか)に現れる。子供を育ててくれる前夫と今の人生を一緒に楽しむ「スーパーモデルと離婚した男」。彼女こそ、ニューヨークで成功した女なのだ。

物語の終盤のちょっと、じんときたフレーズをご紹介。

「まず、女が天下を乗っ取ろうとする。そして、今や男をふたり手に入れた。まあ、そのうちに、ひとりで充分と思うようになるだろうが。」

「女が求めているのは、それなのか。ふたりの男なのか?」

「四十代と言えば、世間が彼女たちに向かって、もう女としてはおしまいだ、などと宣告を下しかねない年齢だ。少なくとも、性的には…。なによ、そんなのまるで嘘じゃない。よく働くことで若さが保たれ、生気が保たれる。それなら男なら誰でも知っている秘密だ。異性を惹きつけたければそのコツはたったひとつ。成功して、力を持つことだ」

こうして、三人の女たちは、摩天楼がまるでリップスティックのように立ちならぶ、ニューヨークの町を見下ろす。ううむ、かっこいい。

もちろん、小説としてつっこみどころ満載だし、完成度はそれほど高いもんじゃないかもしれない。けどさー、なんつうか、その心意気と前人未踏の場所に、丸腰で入っていくような彼女たちの姿勢にやっぱりしびれるのだ。

男たちは、相も変わらず、50年代の幻想に生きている。そこでは、自分だけを愛する貞淑で美人な妻が、夫の帰りをまって、子供たちを育てている。これこそ、幸福のかたちだと信じて。

でも、今は2008年なのだ。50年代の幻想を男が信じている間に、女たちは、せっせと働いて、もう、食べさせてもらえなくても、もう、守ってもらえなくても、充分やっていけるところまで、来ている。この埋まらないギャップに、今夜も多くのひとが船を出すのだなーと思う。

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