山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「人のセックスを笑うな」

有楽町で映画「人のセックスを笑うな」を見た。

ヒットしているし、評判もいいので、ぜひ見たいと思っていてやっと行くことができた。評判通り、とてもいい映画だった。もともと、井口奈己監督のデビュー作「犬猫」のファンだから、ヒットしていなくても、評判じゃなくても見に行くつもりだったけど、いやあ、良かったなー。

原作とはすっかりキャラクターもストーリーも変わっていた。それはそれでいいんだろうなーと思った。っていうか、結局、映画は映画であり、原作は原作だから、そこらへんは観客にとっては関係ないのかもしれない。

まず、評判通り永作博美さんがよい。いくつになっても失わない、ひととしてのかわいらしさを存分に発揮していて、これじゃあ、松山ケンイチ君演じる20代の男子もほれるよなーと思った。そして、もちろん、松山ケンイチ君の切ないことと言ったら。恋するか弱き男子を身体いっぱいで表現していて、自分は男でもないし、20代でもないのに、つい一緒の気持ちになって、「わかる、わかる、そのつらさ」とハンカチを握りしめた。(心のなかでね)。

原作のモチーフのひとつに、年の差恋愛がある。永作演じるユリは39歳、松山ケンイチ演じるミルメ君は、19歳の設定だったと思う。19歳の学生たちから見たら、39歳の女は完全におばさんだ。そのおばさんに恋してしまうつらさやとまどいが描かれていたと思う。同時に、ユリは既婚者なので、いわゆる不倫ってことになるけど、結婚しているひとを好きになる辛さも原作のモチーフだったと思う。

ところが、映画では、年の差はさほど強く描かれない。ミルメ君も、彼女が20歳年上であることなんて、さして気にしていないのだ。好きになって、ふたりの時間をもてるようになったことがうれしくて仕方ない様子が、前半、とても愛らしく描かれていく。そこには、年の差とかまったく関係のない、恋することの喜びがストレートに表現されているのだ。

後半、ユリが既婚者であることからショックを受けて、ミルメ君は悩み始める。でも、これも、いわゆる「不倫もの」にありがちな、ダンナと俺どっち選ぶのさ?的な展開がなく、会いたくても素直に会えない心のゆれをすくいとるように描いている。見ている方は、すっかりミルメ気分で、「つらいよなー」と共感する。

また、既婚者であるのに、自分の生徒であるのに、さらに20歳も年上であるのに、そんなことまるで気にしていないようすで、飄々と暮らしているように見えるユリの姿もまた、せつない。飄々としているようでいて、彼女なりに痛みを感じていることが、静かにひたひたと伝わってくる。おおげさな台詞はほとんどないのに、彼女、彼の心のありようがここまでストレートに伝わってくるというのは、演出の勝利(もちろん、役者たちの芝居の勝利でもあるけど)なのだと思う。監督の力量が、はっきりとわかる。監督の世界観がしっかり描かれているのだ。

いい映画を見ると生きる勇気が湧くなー、いろいろひどい人生だけど、諦めずにいこうという気分でエンドロールを見ていたら、大学の後輩も偶然見に来ていた。

「よい映画だったねー」と余韻にひたりながら、近所の居酒屋へ入り、話す。彼は、大学のとき、一緒に自主映画を作っていた仲間なので、映画の話をするのは楽しい。いくつになっても、そこらへんの気持ちは同じだ。すっかり気持ちが軽くなって、ほろ酔い加減で(梅酒ソーダ半分しか飲んでないけど)、帰って来ました。

なんか、よかった。

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