山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

無駄な車、無駄な服、無駄な人生。



東京タワーと夜桜。

そんなわけで、昼間のお花見には間に合わなかったので、夜、芝公園~増上寺にお花見に行ってきました。ミニを連れて徒歩で行ったので、結構歩きました。花冷えというのでしょうか、寒かったです。
増上寺は、夜からどこかのテレビの中継が入るとかで、なかに入れず、外からしだれ桜を見るとことに。

自分もテレビのひとですが、なんだか、ちょっと理不尽な気も致しました。

すっかり冷え切って自宅に帰ったあと、近所のフレンチで豪華なディナーを食べました。鴨のローストとお刺身サラダ、食べました。おいしかったです。

ところで、最近は、車の持つ価値が変わってきたそうですね。私が学生のころは、いい車に乗っているともてる!と言われ、男子のみなさんはこぞってかっこいい車をほしがったものでございます。また、女子のほうも、彼氏がかっこいい車に乗っていることが自慢のひとつだったりして、そういう時代がありました。

ところが、最近は、車=移動の道具 という認識に変わったようで、たくさんのひとが乗れたり、荷物を運ぶのに便利なワンボックスカーなどが人気で、そもそも、狭い東京で車なくてもいいと考えるひとも増えているようです。もちろん、今でも車好きのひとはいるし、一部のお金持ちは、高級外車を何台もそろえる…ということはあります。が、普通のひとが、無理しなくなったと言えるでしょう。

こういうことって、たぶん、いいことなんだとは思います。また、これは現在、車に限った話ですが、この視点、つまり、車=移動の手段というシンプルな認識、これをもって、成熟と呼ぶのかもしれませんが、同じようなことが、いずれ、衣服にも訪れるのではないかしら。

だって、服だって、身体を寒さ暑さから守り、裸を隠す手段、道具でしかないわけで、だとしたら、毎年変わる流行に振り回されて、無駄なお金を使うより、着心地がよくて、着回しのきく服がいくつかあればそれでいーじゃない…ってことになると思います。実際、ユニクロやGAPなど、低価格でシンプルな服を売る店も増えていて、そういう服装計画は、無理でなくなっている。ユニセックスでシンプルな服のひと、増えているよね。

一方で、車と同じだけど、服が好き、ブランド好きってひとたちが相変わらず、高い服を買い集めていたりもする。好きなひとは高い服買うし、ひとそれぞれってことになってる。これもまた、文化の成熟というのかもしれない。

けれども、ちょっとだけ、淋しい気持ちがする。車は移動手段だし、服は身体を守るものでしかないと宣言し、無駄を廃そうとしたとき、こぼれ落ちるものっていうか、そうやって、無駄をどんどんそぎ落としていったあとに、どんなものが人生に残るのかな。これだけはそぎ落とせないことってなんになるのかな?

そもそも、人生で「無駄じゃないこと」ってなんだろう。食べ物と寝る場所があればいいみたいなことになってきてしまう。でも、やっぱりそれだけじゃ、なかなか立ちゆかないよね。

いや、だからどーした?と言われてもわからないんですけど、無駄のものってやっぱり必要のような気がして。ずっと前に、「あなたの暮らしは地に足がついていない」みたいなことを言われたことがあって、要するに、「生きるのに切実じゃない」って意味でその相手は言ったようだけど、まあ、そうかもしれないわけで。自分の暮らしが、そもそも、自分が生きてることそのものが、無駄と言えば無駄じゃん…ってことになってですね、実用的でない人間はいらん!って言われたら、へへい、っていって、下がるしかないような気がするからかもしれません。

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