山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ある愚か者の場合。

えっと、今日は自分が脚本を担当した映画「闘茶」の試写会に行ってきた。

内容はともかく、いろいろ考え込んでしまった。映画そのものについて、というより、生き方とか仕事の進め方とか、そんなことについて。自分っていったい、なにをやっているのだろう。

夕方から、電車に乗って、ちょっと遠いスタジオに打ち合わせのために行った。ちょうど帰宅時間らしく、すごいラッシュ。ラッシュ久しぶりだったので、結構疲れた。日頃電車に乗っていないと、これくらいのことで驚く。すっかり脆弱だ。駅につくと、外は真っ暗で冷たい雨が降っていて、ひとり取り残された孤児のような気持ちになりました。が、数分でバスがやってきて、孤児は無事、スタジオに着くことが出来ました。

帰りは太っ腹pさまのおかげでタクシーにて帰宅できてよかったー。(病人か自分は)。

とにかく、目の前の仕事をひとつひとつていねいにやるしかないよな。幸い、好きなことを仕事にできているんだし、なにもクヨクヨすることないんだし…。と、毎日、自分に言い聞かせている私って、どうなのさ。

先日、うちに遊びに来てくれた某女子は、某昆虫を研究している。仕事でもなんでもなく、趣味で…というのは、あまりに専門的のようだけど、そのムシについて本まで出版するくらいらしいけど、彼女いわく「虫の研究はまだわかっていないこともたくさんあるので、限りがない。いくらでも調べ続けられて面白い」。

そうか、そうだよなーと思ったのでした。「知りたい、面白い」という基本があって、それを進めていく…というシンプルな姿勢をすぐに忘れてしまうから、いけないのね。いったん、仕事というか、お金がからみ始めると、最初の「やりたかったこと」と「やらないといけないこと」がどんどんずれていくのよね。ふうむ。

が、一方で、不本意な仕事でも、依頼されやっているうちに、面白いものができたりすることも多く、そのことで能力がついていくともいえるから、ムズカシイ。あれ、いったい、なにについて考えているのだろうか。

が、結局のところ、「現在の自分」とは、これまでの自分が全部選択してきたことの結果なのだ。誰の責任でもなく、自分自身が全部招いたことなのだ。責めるなら自分を責めよ。おお。前にも書いたけど、「不幸は愚かなせい」ってやつですね。おお、愚か者め。

なんかさー今年は春らしくなるのが、遅くないでしょうか。さくらの時期は寒かったし、最近はどうも天気もぱっとしないし。(自分は昼間寝ているせいかもしれん。これもまた、気候ではなく、自分が悪いのだった)。あーあー。

そうです、冷たい雨が降り続けるのも、久しぶりにはいたブーツがきついのも、全部全部、おまえ自身が招いたことなのだ。

復習するは我にあり、我、これを報いん。

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