山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

愛犬ミニ、ドラマ出演中!



今日は、MSNの人気ドラマCLIMAXのロケに行ってきた。監督が長い間の友人のため、ミニに出演依頼が…。(作品と配信については、またあらためてお知らせします)。

朝の9時に都内を出発。ロケ地の三浦についたのは、10時半頃かな。その後、出番まで、近くの公園でミニと待つ。写真は、出番を待つ間、とても暑かったので、冷たいおしぼりで涼をとるミニさん。

まあ、私は動物プロのひとみたいな感じで、出番まで、ミニの世話をしてまつ。撮影に待ちはつきもの。たまにこうやって出る側になると、そっち側の気分もわかっていいもんだ。ホントは、撮影の雰囲気なども写真に撮ろうと思ったいたんだけど、何しろ猛暑。海の近くなので、風は涼しいけど、太陽の光にやる気を喪失し、おとなしくしていた。

ミニは、生まれたとき、最初に見たのがビデオカメラだった…という犬。(出産風景を番組にしたので)そんなわけで、撮影慣れしている。カメラがいて、忙しそうなひとたちがバタバタしていたら、撮影だとわかるらしく、自分がやるべきことをする。どんなに暑くてもへこたれずに、「よーいスタート」の声がかかると、ちゃんと芝居をするのだ。けなげだ。そしてプロだ。

ミニの名演技によって(…でもないでしょうけど…)、割と短時間でミニの出番は終わった。それでもすごく暑かったので、公園で少し涼んだ。冷たい水や氷を差し入れしてもらって、一息つく。帰りに、逗子の家によろうとかと思ったけど、寄ったらそこで、絶対寝るし、目が覚めたら夜になって、それから帰るのおっくうになるだろうと思って、一気に走って東京に戻った。

2時過ぎ帰宅。冷麺を作って食べたら、ダウン。そのまま、寝てしまいました。何しろ、今朝は8時に起きたので、自分的には超早朝なため、クラクラと。ミニも一緒に寝てました。

目が覚めたら、午後8時でした。結局寝るならどこにいても同じようだけど、自宅ならもう帰らなくていもんね。それでも、ちょっと用事があったので、六本木へ。ついでに、映画「ハプニング」を見てきた。

ナイト・シャラマン監督にしては、わかりやすい作品だった。いわゆるハリウッド的に出来てる。恐ろしいのは同じだけど。いや、ちがうのかなー。いわゆるドラマ上の伏線が次々出てくるんだけど、全部、スカっていうか、どれもストーリーにリンクしない。シナリオの教科書では、「やってはダメ」って書いてあるような手法である。

見ている自分としては、「あ、これが先に効いてくるのね」と予想した出来事や、登場人物や、キャラがことごとく、その場限りで、どれひとつとして、引っ張らない。途中で、そのことに気付き始める。「あ、全部、引っ張らないで終わるのね」と。どんな伏線も事件の解決にはならないのだ。

引っ張るのは、メインテーマだけだ。それ以外の伏線にフォローはない。ふうむ。映画を見ている間は、その怖さばかりに目を奪われたけど、家に帰ってじっくり考えると、このように伏線をひかない、あるいは、ひいたように見せかけて、フォローしない…というあえての構成なのだな、それってアリなんだなと思う。

最近は、日本映画でも、「なにも起こらない」映画っていうのが結構ある。「かもめ食堂」あたりから、増えてきた。先日みた「ジャージの二人」もそうだし、まだ見てないけど、「百万円と苦虫女」もそうらしい。なぜ、増えているのだろう。まあ、ストーリーってもはや、やりつくされているもんね。

今日見た「ハプニング」にしろ、突然変異だか自然現象だかによって、たくさんのひとが無残に死ぬ…みたいなストーリーは、(敵は自然)前にもたくさんあったよね。覚えているでは、ニューヨークが冷気に包まれるやつ…なんだっけ。図書館に籠もって、本を燃やして暖をとるのだ。とにかく、その手の脅しでは効かない観客も出てきて、(私なんてそう…そういうもんに全然興味がない)、ひっくり返しの作品がハリウッドでも作られているようだ。

しっかし。なんかとても不安になる映画でした。どんな理由にせよ、ひとがどんどん死ぬのを見せられるのは、耐え難い。自分以外の人間、自分の大切なひと以外の人間であっても、というより、生き物が死ぬのを見るはいやだ。とても傷つく。フィクションでも苦手。映画のおもしろさや構成を飛ばして、傷ついてしまい、不愉快になってしまうのだった。

帰り道、TSUTAYAに寄って、「Lの世界」というアメリカのテレビドラマを借りてくる。友達から、「私向き」と言われてて、前から見たかったし、こういう「愛の世界」について描いているのは好きだから。ひとが死ぬものはイヤだ。

家に帰って、ミニを抱きしめる。生き物が生きている姿を見ると安心する。

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