山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

もてる女・もてない女

連休でしたが、一応働いておりました。

思えば、10月12日は最初の結婚記念日であった。(って1回しか結婚していないけど)。あれから○年過ぎたのか~。あっという間のような、長い時間が過ぎたような。ま、いいや。

引き続き、脚本を書いておりますが、主人公の性格設定ってどうしても自分の想像の範囲を超えない。というか越えにくい。前に、ある編集者から、自分の考えとちがう主人公を書くのは失敗しやすいと言われた。小説と映画はちがうものだけど、それでも、自分が撮りたいような映画は、小さいサイズのものだから、どうしても小説に近づく。

例えば、タナダユキ監督の『百万円と苦虫女』。蒼井優さん扮する女子がいろんな土地をアルバイトして放ろうする物語である。主人公は、行く場所、行く場所で、誰か男子から恋をされる。最初のふたりは片思いで終わり、最後のひとりと恋に堕ちるけど、この主人公はどこへ行っても、男に求愛されるのだ。恋愛が実ったからといって、幸福になるってわけでもない。これって、たぶん、監督の世界観だよなあ。

ところで、自分と考えの同じひとしか書けないとしたら、それでは広がりがないし、つまらない。想像できる範囲で、ちがうキャラクターを作り、ちがう行動規範を作らないといけない。このひとは、この時、どうするのだろう…と練りながら。でも、根本にあるのは、「自分の世界観」だよなあ。それがどうしたってにじむし、それがにじむような映画が好きだし。

あと、こうあってほしい世界を描くって方法もあるよなあ。結末に希望を託すってこと。どっちかといえば、自分はそういう結末にもっていくことが多かった。完全に絶望していないからなのか。

と、ここまで書いて少しわかったこと。現在、書いているのは、「もてる女ともてない女」の二人旅であるけれど、それは自分のなかの「もてる女」と「もてない女」を切り離して、それぞれを想像力で大きく育てることだ。で、まあ、それぞれが勝手に行動するんだけど。結局、そういうことだよなあ。自分の脳のなかで想像している以上、脳を飛び出したキャラも行動もなかなか描きにくい。(脇役は別として…)。

そんなわけで、今夜中に書き上げるつもりだったけど、ダメだった。うータイムアウト。しかし、毎日少しづつでも書いていこうと思う。だって、面白いから。

そういえば、「泳ぐ人」という変わった映画を見た。(DVD)。主人公はバート・ランカスターで、彼こそは、「泳ぐ人」なのである。どう泳ぐ人かというと、最初のシーンから海水パンツ一丁で、最後まで、衣装はこれだけ。友人の別荘に現れ、プールで泳がせてもらう。そこで、「いろんなひとの家のプールを泳いで、家まで帰る」という奇妙な計画を立てる。プールつだいに家に帰るのだ。

年はとっているけど、筋肉質の日焼けの似合う男である。最初は、明るく泳ぎながらスタートするのだけど、いろんなプールを辿るうちに、昔片思いされていた少女と再会して、ふたりで歩き始めたり、昔の愛人のプールを泳いだり、要するに彼の過去をプール伝いに辿っていく物語だ。見ていくと、だんだん、主人公がそれほど幸せじゃないことがわかっていく。それほど…というかむしろ不幸であることがどんどん判明していく。それを、それぞれのプールとそこに集う人々だけで表現していくのである。

変わった映画だったなあー。なんとなく、落ちは最初から想像がつく。そして、脚本の作り方も想像できる。それぞれのプールでいろんなひとに出会う。(だいたい過去の「女」なんだけど)。この作品の秀逸なところは、「プールづたいに」人生を振り返るってことだろう。それがへんだもん。

いや、プールは富を象徴しやすいし、若さも表現しやすい。だから、よく出来ている…といえば、いえるけど、でも、ちょっと「だから、どーした!」という気分にもなった。そういう人生もありました…という感じか。

ひとの作品を評すのはやすく、自分で書くのは難しいなあ。でも、頑張る。