山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

頭と首の闘い。



元気になったミニさん。

今日は、ミニを病院に連れて行った。先週、咳をしていたので、「もしやフィラリアに?」とか「もしや悪い病気に?」と不安になって、病院に行ったのであった。結果、気管支炎ということで一週間様子を見ることになった。クスリを飲みつつ。

で、今日がその一週間後の診察の日。実は自分も昨日、首が曲がっていることが判明し、(無意識のうちに追突されたような症状になっていて)通院しないといけなかったけど、やはりここはミニを優先した。わたしの首より、ミニの気管のが大切だ。

で、再びタクシーで病院まで。最近は、ほんとみなさん、明るく乗せて下さる。こんな大型犬なのに。ミニはたいへんおとなしく、しつけの行き届いた犬なので、後部座席の足下にひっそりと座る。大型犬なので、ただ息をしているだけで、「はーはー」とうるさいと言えばうるさいけど、床に座った人間と大差ないのだ。タバコもすわんし、泥酔しているわけでもない。

もちろん、人間よりは獣臭があるので、(いくら美容院に連れて行っているとはいえ、1,2週間に1回くらいしかお風呂にはっていないから、匂うかもしれない、人間だって、2週間お風呂はいらなかたら匂うよね)、窓を開けて換気につとめ、毛を落とさないように注意する。病院までは5分くらいだからね。

でもって、診察。気管支炎はほとんど治っていた。よかったー。ので、久しぶりに歩いて帰って来た。一方、自分は首が痛い。しかし、診察を受けるまでは、「肩が凝った」と思っていたのに、「首が曲がっていますよ」と言われて以来、首が痛いのだ。痛みなんて、なんて恣意的なのだろうーか。そんなのおまえだけだと言われたらそーなんですが、今はほんと首のが痛い。

そして、「首」というものは、いったん、その存在を意識してしまうと、いったい、どんな風に頭を支えたらいいのかがわからなくなる。それまで無意識にやって来たことに意識を働かせようとすると、ごちゃごちゃになって、「頭、邪魔だな」と思ったりして、首みずから、重い頭を振り落とそうとする。頭は頭で、首に重量をかけてくる。

首VS頭 の闘い。

どっちも自分の一部でかなり重要な部位、というかほとんど、自分のアイデンティティだから、始末がわるい。けんかしないでもらいたい。

そんなんなら、動物病院だけでなく、自分も病院へ行けばよかったのか。いっそ、動物病院でついでに見てもらえばよかったのか。自分も動物の一種だし。でも、人間と犬では首の構造がちがいすぎるもんなー。

どうやら自分は、パソコンに向かっているとき、無意識に左に首を傾げているらしい。ものすごくべたな芝居の「なんでかなー?」みたいなスタイルで書いているようなのだ。その形で固まったまま、何時間もキーボードを打った結果、首が傾斜して固まってしまったようだ。

へえーって感じです。自動車事故で一瞬で「バン!」ってやられて曲がったみたいになっているそうだけど、わたしの場合は、毎日コツコツ、少しずつ、首を曲げていったらしい。結果、強い衝撃でもないとできないほど首が曲がったのだ。これは、どんなことでも毎日続けると、偉大な結果を生むという教訓か。あ…小さな癖でも毎日続けると、最悪の結果を呼ぶという戒めですね。

でも、誰からも「首曲がっていますよ」と言われなかったし、自分も鏡を見ても、どこかどー曲がっているのかわからないんだけどね。骨が傾斜しているということらしい。年ってことか。とほほ。

物書きのひとに多い病気らしく、尊敬する某作家も同じ病であるとさっき判明。ちょっと嬉しい。作品ではなく、病気で作家らしくなってもしょうもないんだけど。

とほほとほほとほほ。