山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

訃報

今日は、悲しい出来事があった。

イーストというテレビ制作会社で同期入社であった、三浦真司氏が、3日午後6時40分、この世を去った。ガンをわずらって2年あまりのことだった。

10月の上旬にお見舞いに行ったのが最後になった。その時は、一時退院されていて、自宅マンションのベッドに横になりながら、いつもと変わらぬ軽口をたたいていた。同行した酒好きの友人にしきりにビールを勧めたり、笑わせながら気遣いをするひとだった。知的で静かで面白くて、お酒とよく会話しているひとだった。

優秀なテレビディレクターだったし、語学も堪能で英語とフランス語ができた。プロレスとロックが好きで、フランスに住んでいたこともあった。「時効警察」で『ブラジャーを投げてくれ!」というギャグを使ったとき、ブラジャーには、フランス語で救命胴衣という意味があるかどうかを、病床から調べてくれた。

20代のころはホントによく一緒にお酒を飲んだ。飲むと暴れる自分とちがって、いつも変わらず、淡々とお酒に話しかけながら飲むようなひとだった。障害者をテーマにした番組の演出を引き受けるかどうか迷っていたとき、「自分のなかに嘘はないのか…」と言われたのを覚えている。偽の感動や偽の演出を嫌った。非常にクールで、自分に厳しいひとだった。

ガンにかかってからも、自分の病気を冷静にとらえて、ブログにおもしろおかしく書いていた。いろんな才能がいっぱいあったのに、「俺が俺が」と前にでるタイプではなかった。都会的な洗練されたひとだった。

たぶん、私のことは、「しょうがないやつ」と生涯思っていただろう。当たっているけど。

抗がん剤治療をやめて、ゆっくりする…と言ってたけど、あまりに早かった。なんか、三浦くんらしい。じたばたせず、「じゃね」と言って、さらりと去っていった感じだ。

これ以上書くと、「そんなに友情感じてもいなかったくせに、感傷的に書くなよなー、気持ち悪い」とか、本人から言われそうだ。

だから、このへんでやめる。テレビ業界の仕事が終わった時の気持ちで、さよならを。

三浦くん、お疲れ様でした。