山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ダークナイト

DVDで「ダークナイト」を見た。

スーパーマンとかバッドマントか、ヒーローモノに傾倒する質ではないけれど、これはちょっと見たかった。主人公のバットマンの素性とか、隠れ家にあるいろんなアイテムとか、笑っちゃうような車とか、面白いといえば面白いけど、そういう部分より、やっぱり、テーマの置き方に興味を惹かれた。

正義ってなに?悪って何?みたいなことでしょうか。ヒーローものだと善悪の基準がわかりやすい場合が多くて、悪は絶対悪だし、善は善と決まっていて、その間での闘いになる。が、「ダークナイト」は、善人のなかにも悪は存在し、罪を犯したひとが必ずしも悪人とは限らないということを提示している。

正義を語っていた人間も、攻撃を受けて、大切なひとが殺されれば復讐の鬼になってしまう。
正義が落ちていく瞬間こそ、悪人が望むものだったりもする。

悪人が悪人になったトラウマらしきものを、トラウマらしく語らせるところも面白かったな。二時間ドラマだと、海辺の崖で、犯人が「なぜ犯罪を犯すことになったか」と告白するシーンだ。そこでは、過去のつらい出来事が引き金だったりする。が、「ダークナイト」の犯人(=ジョーカー)は、トラウマさえ、作って笑ってみせるのだ。

また、スキャンダルを好み、自分たちの安全ばかり考える身勝手な一般市民を描く一方で、ギリギリのシーンでは、彼らのなかの善意を抽出したりする。まだ、みんなが悪に染まったわけじゃない。人間もまだまだ信じられると?

莫大な(たぶん?)お金を使ってつくった、「善悪の基準」みたいなことでしょうか。

バットマン自身が、自信満々というわけでなく、悩んだりくよくよしたりするのもよかったな。新鮮でした。

ですが、基本やはり、普通のドラマのが好きでした。戦闘シーンとか、警官がばんばん死んだり、悪の手下といえども、ばんばん死ぬのを見るのは、忍びなくて。悪の手下の犬がやられるのを見るのも、痛いんでした。

こんなに大きな風呂敷を広げないと、善悪の基準って描けないのかな。それとも、これはやはりエンタメがファーストプライオリティであって、正義とは…?というのは、小テーマなのかな。

ここで語られる正義と悪については、短く考えた。犯人のジョーカーは、いわゆる快楽殺人で、お金のためとか権力のためではなく、楽しみのために、バットマンと闘っている。少し前までの「悪」は、世界制覇とかお金をメインの目的にしていたわけだけど、どっちが悪いのか…という気にもなる。

一見すると、ゲーム感覚の殺人者のほうが、お金のための殺人者より罪が深そうに見える。(法的な意味の罪ではなく、心情的に言ってます)。が、よおおく考えると、お金のための殺人者のほうが、恐ろしいような気がする。たかがお金のために、命を奪うのか…というのがいやだ。ゲーム感覚というと、遊びみたいだけど、ある種の狂気による殺人のほうが、ギリギリ感がある。ちがうか。難しいなあ。

…とこんな風に、日頃忘れていた、正義について、考えさせてくれるから、こういう大風呂敷も必要なのかもしれないな。

余談ですが、ダークナイトって、続けて書くと、「ダークな意図」って変換されちゃう。おもしろ。