山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

無駄遣いと腹痛と優れた小説。

土曜日。

ちょっと買い物に出かけ、バッグを買ってしまった。必要ないのに…。でも、カワイイし、嬉しいからいいか…と自分をごまかす一方で、今後、当分テレビの仕事をお休みにするのだから、無駄遣いは禁止であったはずなのに、おまえは…と責めつつ帰宅すると、あるドラマの印税が入金された…という知らせを受け取る。バッグの値段にほど近い金額であった。おお。嬉しい。数年前に書いたものなのに、今もこうして、私の生活を助けてくれる。出稼ぎに行った息子が、仕送りしてくれるようなものかしら。

…というわけで、一件落着。がしかし、次なる試練が待っていた。夕食後、だらっとしていたら、腹痛に襲われる。いわゆる食中毒的な症状である。以後2時間くらい苦しんで、終わったのだけど、犯人は3つに絞られた。ひとつは、買い物の途中で試飲したワイン。私は極端にアルコールがダメになって、体調が悪いときに飲むと死の苦しみを味わうようになってしまった。が、それは、かなり大量に飲んだ場合であって、試飲によってこれほどの苦しみが来るとは考えにくい。が、一応候補のひとつ。

もうひとつは、やはり買い物中に試食した、ドライトマトのオリーブオイル漬けなる商品。美味しかったから買おうと思ったけど、100グラム1800円と聞いてひるんだ商品。

そして、3つめが、夕食後に食べたプリン。どれも美味であったけど、この3つ以外は考えにくい。しかも、ワインはともかく、2品はですね、かなりの有名店の食べ物であった。そんなことあるのかな。イヤ。充分あり得ることは昨今のニュースが証明済みだ。

まあ、しかし。治ったからいいや。一時は死ぬかと思ったけど、なにか恐ろしい病気の始まりかとも思ったけど、2時間くらいで回復してしまった。それでも、怖かったので、布団に入り、ポール・オースターの「幻影の書」を読了。ううん、面白かった。特に映画の話なのでね。小説のなかに幻の映画がでてくるのだ。

読み出したら、お腹が痛いのも忘れたので、よくできているとは思う。けど、多少、物語のための物語、ドラマのためのキャラクター設定があるように思った。あらすじをざっといえば、飛行機事故で妻と子供を亡くし、なにもやる気がなくなっていた主人公の男は、ある夜、偶然コメディ映画を見る。何年も前の無声映画であるにもかかわらず、主人公は思わず笑ってしまうのだ。ずっと笑うのを忘れていたというのに。

自分に笑顔をもどしてくれた映画に興味をもった主人公は、その監督の足跡を追う。ところが、この監督、20代の前半で数本の映画を作ったあと、忽然と姿を消しているのだ。主人公はこの監督に興味を持ち、彼の残した映画を探し出して見て、この監督に関する研究書を書き上げる。この作業に没頭することで、彼は家族を失った悲しみを忘れることもできたのだ。

書き上げた原稿は本になる。そして、奇妙なことが起こる。50年近く消息をたっていたはずの、この監督の家族らしきひとから連絡が来るのだ。監督は生きている…。ここから、すべての謎が始まり、監督失踪の理由をしり、監督に会うために、主人公の冒険の旅が始まるのだ。今、こうして書いていても、「おもしろそー」「読みたい」と思うよなあ。

がしかし。こういう「おもしろそうな前提」を書くのは意外とたやすい。ものすごく不思議な出来事が続けて起こるとか、なんでも前提だけなら書けるのだ。誰にでもってわけにはいかないだろうけど、少なくともポールオースターほどのストーリーテラーなら、お茶の子さいさいであろう。が、問題は、そのまとめ方にある。この前提をどうやって、読者に納得させるか、「そうだったのか!」とぽんとヒザを打たせるかに、作家の力量はかかっているんじゃないだろうか。

もちろん、オースターであるから、次々と思ってもみなかった結末にむかって進んでいくんだけど、あっぱれではあるけど、それでも最後のほうになると、ある程度の結末は予想できたりした。ううん、難しいものよ。

しかし。もちろん、読んでいる間中は、本を読む快楽とはこれなんだよなあという思いにとらわれ、翻訳であるけれども、(翻訳が優れていることもあって)、魅力的な文章の数々に、打たれて、あーこういう文章、こういう言い回し、こういう展開、自分も書いてみたいよーとなるのであった。そして、しみじみ、いかに自分が小説を好きか…ってことを思い出すのだ。小説を読む楽しみが、自分にはあってよかった。いろいろ失われてもこの楽しみがあることは、かなり幸せなことなんだと途中で何度も神さまに感謝しました。

そんなことをしているうちに、腹痛はさり、朝が来ました。