山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

創作の基本のような。



ドキュメンタリー映画「空とコムローイ」
(監督・三浦淳子)@渋谷ユーロスペース 朝10時半から上映中。

2月4日(水)には、12時からの三浦監督とのトークにお邪魔します。

そんなわけで、本日、自宅にて、「空とコムローイ」をdvdにて予習しました。三浦さんが、7年かけて、タイに行って、自分で撮影した作品です。タイの北部、アカ族の村にある、寮制の学校が舞台です。イタリア人の神父さんが、その村の子供たちが自力で生きていけるように、30年前に開設した学校です。学校といっても、主人公の空(タイ語ではファー)は、赤ちゃんの頃からここに暮らしている。学校というと無理があるような、学校と施設が一緒になったような場所なんだろうか。

ファーのお母さんはエイズにかかっていて、いつまで生きられるかわからない。お母さんも一緒にこの敷地内に暮らしているようだ。その他、耳の聞こえないおばあさん(このひとが、また、いい味を出している)とか、いろんなひとがいるのだ。かような施設の暮らしぶりと、ファーの成長を、ゆっくり撮り続けた作品である。

なぜ、こういう作品を撮ろうとしたのか、とか、7年も通い続けた動機はなにか、とか、そこらへんは、トークの日にご本人に質問すると思うけれども、見終わって、しみじみ、自分には撮れない作品だなあと思った。もちろん、作品というものは、そのひとにしか撮れないものであるから、当然といえば当然だけど、いや、しかし、自分が長くいる、テレビの世界では、「そのひとにしか撮れない作品」というのは期待されず、番組として、ある程度のクオリティを保つことの方が重視される。自分もドキュメンタリーのような番組をいろいろ作ってきたけど、なんというか、ある種の習慣というか、ありがちな構成みたいなものが、身体にしみこんでしまっているなーということを、逆照射されたような気持ちになった。

とにかく、時間がゆっくり流れる。説明も最小限であるし、この施設の背景やアカ族のひとたちが直面しているであろうスキャンダラスな問題…麻薬とか売春とかについては、いっさい触れず、ここで生きるひとたちの日常の時間をていねいにすくい取っている。そこには、自分などがすぐ走りがちなジャーナリスティックな視線がない。わかりやすい問題提起がない。過剰なおしゃべりがないのだ。

ひたすら人々のいい面、美しい自然が映し出されていく。犬や猫も一緒に暮らしているんけど、彼らもまた、とてものんびりしている。日頃から人間の悪意や悪い面ばかり描きたがる自分は、そういう部分を探しがちなんだけど、この映画を見ているとそういう気持ちにはならなかった。なんでだろうなー。

三浦さんとは実は同じ歳で、実は同じ大学の出身であった。彼女は当時舞台をやっていて、自分は自主映画をやっていたわけだが、もちろん、その頃は知らない。卒業後20年以上過ぎて、映画を通じて知りあった。まったく違う生き方でもあるようでいて、でも、どこか、なにかを作っていたいと思っている部分、組織に属さず、ひとりでコツコツやっている部分などは共通のところがある。

えっとなにが言いたいのかうまくまとまらないけど、自分で「これだ!」と決めて、追い続け、作品に仕上げ、上映に持って行ったパワーを尊敬するとともに、その自由さから自分も学びたいと思った。

生き方は自由である。作品が自由であるのと同じくらいに。