山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

虎と別れる日。

今日は、夕方から映画の音楽打ち合わせ。第一回なので、ざっくりイメージとかを話す。自分のイメージ曲とか、映画とかをお見せしつつ、いろいろ話す。映画の話をするのは、やはり楽しい。

その後、渋谷で開かれた、朗読会みたいなものへ。これは、、コピーライターの方の書いたショートストーリーや詩みたいなものを、著名なナレーターさんたちが読む…というライブ。今回で二回目になった。

自分が出かけたのは、前回もいい感じだったこともあるけど、時々お仕事させてもらう、大川泰樹さんの美声を生で久しぶりに聞きたかったからであった。大川さんには、「NONFIX」とかNHKのドキュメンタリーなどで、ナレーションを担当してもらった。独特の甘くて切ない声の主である。声にたがわず、見た目も美形な方である。

そんなわけで、本日もしみじみとしたひとときを味わった。コピーライターの方たちが描く世界には、共通項があるなーとふと思った。みんな、美しくて、優しいのだ、文章が。残酷さや嫌味なものはない。なぜだろう…と短い間、考えた。それは、やはり、「広告」というものが、受け手をハッピーな気持ちにさせることが目的だからではないか。

脅したり、びっくりさせたり、悲しい気持ちにさせてはいけないはずだ。そうじゃないと、その製品イメージが悪くなる。お客さんに嫌われたらおしまいだ。イメージ中心のコピーだって、不吉なものや辛らつなものはないはずだ。だから、コピーライターの方たちの書く物語は、優しい。ひとを幸せな気持ちにさせる。こういうとき、「分野」について、考えてしまう。知らないうちにまとう、その世界独特の空気というか、作法というか、掟と呼ぶか。

クリエーターに、ジャンルなし…とは思う。が、やっぱり、長くいた世界を必ず引きずっているはずだ。いい悪いじゃなくて。それは、自分が、一番長くいたのが、テレビで、その後、小説、映画の分野に行くに従って、しみじみ、自分の「テレビ屋根性」に気づくからであった。意識しなくても、「テレビ屋」っぽさが出てしまうのだ。ふとした拍子に。それを「軽い」と呼ばれることも多いけど、
きっと、映画やさんから見たら、「軽い」のだろう。

そういうことを漠然と感じた。映画のひとから『軽い」って言われたけど、すでに、映画の世界もテレビ出身のひとが席巻して、「軽さ」をまとう映画が増えているとは思う。文学の世界でも、「テレビっぽい」と言われたことあったけど、最近は、自分の書く世界より、もっと「軽め」の小説が中心になったと思う。なので、世界はテレビっぽくなっているかもね。

話題がずれてしまった。そんなわけで、今日のライブは、心地の良い、幸せな気持ちにさせるライブだった。「虎」というタイトルの、飼っていた虎が大きくなり、野性を取り戻してゆき、もう、飼えなくなったので手放そうと決めるひとのストーリーが良かったなあ。もちろん、「虎」は比喩であり、だんだん求めるものがちがってきた、恋人かもしれないし、息子かもしれない。それとも、自分のなかにある、「野性」かもしれない。そして、主人公は虎と別れるのだった。うまいなーと思った。
お話を聞かせるだけで、その世界を作ることができるのって、シンプルでいいなあと思った。自分もやってみたいなー。ナレーション書くのには、ちょっと自信あるんだけどなー。

昨日みた「ぶるうかなりや」と映画「サムサッカー」の感想は明日。