山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

日曜日の繰り言。

今日は一日、家にいました。わりかと純粋なおやすみって感じ。午前中に起きて、朝ご飯けん、お昼ご飯を食べて、相変わらず、ぐったりしていました。映画で使ったポスターを額装しようと思って、新宿まで出かけるつもりだったけど、そして、帰りになにか映画を見ようと思っていたけど、ぐったり感がひかないので、結局、家にいました。夕方、犬と散歩に行ったくらい。

なので、今日は、一昨日見た、テレビドラマと映画の感想。

「ぶるうかなりや」「サムサッカー」を見ました。

まず、「ぶるうかなりや」について。テレビドラマ界が生んだ天才監督、鶴橋康夫さんの作品。それまで、仕事一筋で生きてきた、エリートサラリーマンを柄本明さんが演じています。そのままで順調だったはずなのに、同期の友達をリストラしたことがきっかけで、なんとなく、会社人生がイヤになり、社外秘の情報を外に流したり、年下の部下と不倫したりと、不良になっていく。その頃、自分の息子(村上淳演じる)は、失語症になる。妻(渡辺えり)も不倫中。

というわけで、ひとつの家庭の崩壊していく様がまずある。息子の失語症の原因を探るうちに、いろんな事件に巻き込まれ、それを解決するうちに、息子は言葉を取り戻し、夫婦もなんとか再生していくというお話だ。

これを見ていて思ったのは、最初から密度が濃いってこと。映像ひとつひとつが濃密で話のテンポもよい。これって、やっぱりテレビだと思った。というのは、続けて、『サムサッカー」を見たら、最初のほう、ちょっと退屈だと思ってしまったから。テレビって、とにかく、お客さんに逃げられないようにするため、最初から「飛ばしていく」。逃げるすき…具体的には、チャンネルを変えられる隙を与えないように、次々とショッキングな映像をつなげていくのだ。そういう意味でとてもテレビ的だと思った。そして、事件に巻き込まれ、解決していくさまも、リアリティよりもドラマ性を重視している。そういうことを感じながら見た。

中年のそれまでエリートだったひとが、ふと、やんなっちゃう瞬間について、描いたものだ。その感じ、ちょっとわかる。でも、ちょっとかな。なぜなら、自分はエリートじゃないし、会社員じゃないし、しょっちゅう、いやになって、軌道はずれてきたからだ。30歳で会社やめてるし。だから、そういう束縛からの自由みたいなものとか、家庭を維持していくたいへんさも(そもそも、維持すべき家庭がない)、ちょっとわからないのだった。想像できるけど。

そんなわけで、続けて「サムサッカー」。なんか、良かったなー。我はいかにして狂いしか…って感じ。主人公の17歳の少年は、いつまでたっても、親指をなめることをやめられない。まあ、精神的なものが原因なわけだ。彼は最初からエリートではなく、落ちこぼれ。勉強もできないし、女にももてない。かつてフットボールの選手だった父親から見たら、ふぬけだ。こういう主人公のほうが、スタートラインでは、共感する。しかし、映画のすべりだしには、少し退屈を感じた。

が。

話が進むに従って、「わー好きな方向だ」と思った。主人公は、抗うつ剤、リタリンに出会い、前向きな人物に変わっていく。ここまで、リタリンの力を描いていいの?ってくらい、効いちゃって、主人公は弁論部の部長になるわ、地区大会で優勝するわ、ガールフレンドともうまくいくわ…って、人生が超順調になっていく。これ、見たら、みんな、リタリン飲みたくなりませんかねえ。

しかし、コカインと分子構造3つしか違わないということを友人に指摘され、主人公は薬をやめる。その前から、過剰に攻撃的になったり、意味不明の言動を繰り返すなど、リタリンの副作用も出てきていたんだけど。で、薬をやめると途端に、ダメ人間に戻ってしまう。けれども、自分の力でなんとか回復していく…というお話であった。

21世紀のアメリカで17歳であることの、なんと、大変なことよ。監督のマイク・ミルズは、うつ病や精神的な病にとてもシンパシーを持っていて、そのさまを丁寧に描いている。なんの不自由もないくせに、幸せを感じられない、どうしようもなさを。自分もテーマ、結構、同じかもしれない。

すぐ疲れるし、すぐ、傷つくし…ね。

今日はなにもないはずなのに、なぜか、一日、疲れていました。気圧のせいかしら。どよ~ん。

「スラムドックミリオネラ」「鈍獣」「ミルク」などを見に行きたいです。

元気がほしい。