山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬を背負う。

今日はちょっとびっくりする光景に出会った。

仕事が終わり、重い足と重い荷物を引きずって、タクシーから降りたところ、正面から、犬を背負ったひとが歩いて来た。犬といってもチワワやミニチュアダックスではない。うちの犬と同じ、ゴールデン・レトリーバーである。うちの犬は体重30キロくらいだけど、背負われていた犬もうちの犬と同じくらいの大きさだった。

しかも!

背負っているのが、身体の大きな男ではなく、私よりも身長の低い(わたしは158センチ)、結構年齢の高い女性だった。そんな女性が、ゴールデン・レトリーバーを背負って悠々と歩いていたのである。背負われたレトリーバーも笑っているような、楽しんでいるような風情である。いわゆる、「おんぶ」という状態。

かつて、わたしにはカナという犬がいた。ミニの母犬である。そのカナが大病し、数ヶ月後にこの世を去ることになるのだが、その頃、病院に何度も連れて行った。カナは歩くことはできなくなっていたので、カナを病院へ連れて行くのは一大事だった。自分では重くてカナをだっこすることはできなかった。背負う…という発想もなくはなかったけど、カナ自身がそういう形に慣れていなかったので、断念せざるおえなかった。そのため、病院に連れて行くために犬の救急車を頼み、犬用の担架で運んでいたのだった。お金がたいへんかかった。

が、お金よりも、カナを自由に運べない…ことのほうが、大変つらかった。一度、犬のタクシーのひとが、エレベーターホールにカナをおいただけで帰ってしまったことがあった。「ここからなら、運べるでしょう」とのことだったが、わたしの力では全然持ち上げることができず、カナは立ち上がることもできず、どうすることもできなくて、カナをなんとか支えながら、少しずつ部屋まで進んだことがあった。カナもわたしも半泣きであった。

そのようなカナを巡る思い出が走馬燈…というより、走犬燈のように蘇った。ので、しばらくの間、その犬を背負った女性の後ろ姿を見続けた。そして、なんだかうれしくなった。これからミニを背負う練習をしておこうと思った。いつかわたしもミニを背負って颯爽と歩いていきたいなーと思いました。

まあ、よいことも悪いことも、いろいろあるけど、前向きに生きていくか。犬を背負って。