「レモネードを作ろう」その2
昨日の続き。
昨日のブログで「レモネードを作ろう」という小説について感想を書いた。ところ、その日記にコメントをいただいた。ばんちゃん…と仰る、時々、コメントを書いて下さる方からである。ばんちゃんは、このエピソードのもうひとつのテーマをすばやく指摘して下さった。
わたしが書いたのは、オレンジがないなら、レモネードを作ってしのごう…という態度が果たして、本当にいいのか。オレンジを盗んだ悪ガキを罰することを考えないといけないのではないか…ということだった。
これに対して、ばんちゃんは、
レモンを手渡されたのに、オレンジだと思った…というところに問題があるのでは…と言う。オレンジがオレンジであることがわかりにくい社会にわたしたちは暮らしているのだ。
そうだよなあ、と思った。いわゆる自己責任ということになるのだろうか。「これはオレンジですよ」と言われたら、「そっか」と思って受け取ってしまったら、だます相手はもちろん悪いけど、それがオレンジではない…ことを見抜けない自分にも責任があるということになる。ちゃんとオレンジとはなにかがわかってないと、オレンジを選ぶことができない。
たぶん、この小説のなかでもこのエピソードはそういう意味も含んでいたと思う。だまされないように、自分で見る力を養うようにと。
朝起きて、ばんちゃんのコメントを読んで、考えることが多かったので、昼間だけど、日記、更新しました。普段だと、コメント欄に返信するんだけど、ちゃんと考えたかったので、日記に書きました。ばんちゃん、ありがとう。
自分もしょっちゅう、オレンジのつもりで、スイカを選んでいる。そして、確かに、なにがオレンジかわからくなったり、そもそも、本当にオレンジが欲しかったのかに疑問を持ったりしている。そして、目の前にあるもので、なんとかしのいでいる。手元にレモンがあっただけ良かったじゃないか、…と思いつつ。
そんなわけで、今日も、
「レモネードを作ろう」