山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「女の子ものがたり」


(今日、いただいたピンクシャンパン! 詳細の説明は、日記の後半で…)

銀座で、映画「女の子ものがたり」を見て来ました。

漫画家の西原理恵子さんの自伝的マンガの映画化です。関西弁文化圏の田舎で過ごした少女時代と、現在を行ったり来たりするお話。この少女時代の話が、なんとも切なくて。西原さんは自分とほとんど同世代だと思いますが、東京のざわざわした町で少女時代を過ごした自分とは、全然違って、景色はずいぶんのんびりしているのに、生活はとってもハード。都会の女の子とは別のかたちで、早く大人になる。

と、考えてみると、女の子というのは、都会に生まれたら都会になりに、地方都市に生まれたら地方なりに、結局、「早く大人になる」をことを運命づけられているのではないかしら。そうでもない?のんびりした少女時代を送った田舎のひともいれば、都会でぬくぬくお嬢様として大人になったひともいるか…。これはもう、都会とか田舎とかの問題じゃないかもね。…じゃ、なんだろう。

近々、見に行く予定の大人計画の芝居のタイトルが「サッちゃんの明日」なんだけど、この芝居のコピーは、「サッちゃんの人生は、いつも誰かに盗まれそう」となっている。なるほど。女の子の人生って、どこでも、いつの時代でも、「盗まれそう…」なんだよね。

そういうか弱き女の子にとって、男は、いつも盗人であり、心を許せるのは、女友達だったりするのかな。男は次々変わっても、女友達は、変わらない場合が多いものね。「女の子ものがたり」に登場するような、家庭が崩壊しきっていて、暴力をふるうような男についていくしかないような、どうしようもない状態から抜け出せない、そういう友達は、私の場合、あんまりいなかったけど…そもそも、友達があんまりいなかったが……まだ、男が入り混んでくる前の、女の子だけの、気安くて、正直な友情は、自分も経験があるので、なんとも懐かしい気持ちになった。

けれども、暴力男についていくしかないという彼女たちの人生がなんともやるせない。あれは過去の出来事ではなくて、今でも、かような青春を送り、暴力男に翻弄され、盗まれ続ける女子もいるのだろうな…。しかし、それを「不幸」と言い切れるかどうかは、自分は自信がない。もちろん、暴力ゆるすまじ…なんだけど、道理では割り切れない関係や状態というのが、やっぱりにんげんにはあるように思う。そんなダメな男、さっさと切って、心を入れ替え、周囲を清潔にして、再出発せよ…なんて、とても言えない。だって、まじめな暮らしのその先に、なにがあるんだろう。それを保証できないなあ。

そんなわけで、女の子の人生について、考えた一、好きな映画でした。

実は今日は、午後から、自分の映画の内覧試写がありまして、写真のシャンパンは、来場してくださった、某・大手洗剤・化粧品会社の女性たちからいただいたもの。ピンクシャンパン!うれしいのでアップしました。ケニアからきた動物たちも喜んでいる。今度、スタッフで集まるときに飲もうっと。

自分の映画の試写のときは、どうも気持ちが上ずるので、そのまま、ふらりと映画を見にいったのだった。今って見たい映画、いっぱいやっているからね。気持ちのままに。

映画を撮ったことで、「夢を叶えたね」と言われるようになった。「よく頑張ったね」とも。そうか、そうだったんだな。自分は頑張ったのだな。よくここまで来たのだな…。それはとてもラッキーで幸せなことなんだな。身の回りのことに追われて、そういう喜びをつい、忘れがちになる。今日はシャンパンをいただいたとき、あー自分って幸せなんだって(…いえ、高価なものをもらったからじゃないよ…)、しみじみ、思った。なんか、とってもうれしかった。

最後に今日のミニさん。写真を撮っていると、すぐやってきて、「わたしも撮って!」という顔をするんだな。フォトジェニック・ミニ。