山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

小説「フォレスト・ガンプ」

今日やったことは、「フォレスト・ガンプ」という小説を読んだことと、換気扇の掃除をしたことでした。あと…ゲームとか…。

なぜ、今頃、「フォレスト・ガンプ」を読んでいるかというと、お勉強というか、研究のためでした。次に書こうと思っている小説を、どんな語り口にしようか考えていて、ガンプみたいな、主人公が語る冒険モノ…しかも、読みやすくて軽やかな感じ(ガンプは決して「軽い」というものではないけど…)がいいかなあと思い、参考までに。

「人生はチョコレートの箱と似ている。開けてみるまでは、なにがつまっているかわからない」

確か、こんな感じのセリフで、映画は始まったように記憶していたけど、小説には、チョコレートの箱のくだりはなかった。前にも読んでいるんだけど、忘れてました。久しぶりに読むと、これって、反戦モノの要素が強いんだなあと思った。ベトナム戦争とそれに対する反戦運動について。それを引き起こしたアメリカ政府について、とか、結構、広い視野のお話だったのだ。それをまっとうな主人公で描くと、重くなるし、政治色が強くなってしまうから、主人公は、知能指数の足りないひとに設定したのかもしれない。

小説を日常的に書くようになる前は、ただ漠然と小説を読んでいたけど、最近は、二度目に読むときは、どうも、作家の意図とか戦略を想像してしまうなあ。勉強させてもらっているつもりだけどさ。

あと、まったく違う視点で言うと、ガンプは、「知能の足りない人」というキャラクターを全面に出している。頭の悪いひとでも、すごい人生を送れるよ…という話のように見える。が、ちょっと読めばすぐに気づくことだけど、ガンプは、知能は低いかもしれないけど、他に並外れた才能をいろいろ持っているのだ。

異常に発達した運動能力。誰もよりも早く走ることができ、同時に力も強い。また、チェスの世界チャンピオンを負かせてしまう力もあるし、数学や物理も瞬時に理解できる。(サヴァン症候群というらしい。ある分野に異常な才能を発揮するひと。)けど、これらの特殊能力は、ガンプが成長するに従って、いろんな分野で発揮されていくことになっており、物語の最初では、あくまで、「少し知能の足りないひと」として登場する。

これもひとつのやり方だよね。天才的な運動能力の持ち主が主人公…でも、彼は知能が少し足りなかった…という書き方もできたはず。でも、これじゃあ、興味を惹きにくいよね。

ということで、どんな主人公をどこから書いていくか…も重要だということ。同じ話でも、どこから話し始めるかで違うからね。…いや、実に当たり前のことですが。どういうのが効果的で、どうしたら、魅力が半減なのか…みたいなことを学んでいるのでした。

そんなことをしながら、夜、2時間くらいかかって、換気扇を洗った。手が油でべたべたになりました。あまりに汚くて、発作的に始めたのだった。しかし、途中で、「油汚れマジックリン」がなくなってしまって、犬と近所まで買いに行きました。閉店間際でギリギリセーフだった。

…と、このように書くとなんとのんびりした休日のように見せて、いえ、実はこれから、テレビの仕事をするのだった。…だったら、昼間から早くやれよな!…と自分を責めるのであった。