アメリカのテレビドラマ「Lの世界」シーズン6をレンタルしました。
一時、異常にはまった「Lの世界」。なにしろ、シェーンが大好きで…。SNSでキャサリン・メーニッヒのファンサイトにも入っているくらいで…笑。
しかし、シーズンが進むごとに、最初に見たころの衝撃とおもしろさが減っているのは事実。シーズン6では、復活気味とはいえ、最初の頃の、遊び放題だったシェーンは落ち着きつつあるし、イケてなかったジェーンはすっかり成功した作家になって、鼻持ちならなくなってくるし…以前ほど、わくわくしなくなった。
とはいえ、シーズン6では、シェーンがやや「女ったらし」に戻り始めて、うれしい…。
それにしても、いろいろ考えちゃうことの多いドラマです。いわば、最先端じゃないかしら。昨日か今日かわからないけど、新聞に宝島社が出す、新しい女性雑誌の全面広告が載っていた。いわく、もう、男の視線なんて気にしない…っていうより、男そのものが必要ない…くらいの勢いでガールズ文化礼賛してました。ほう。安野モヨ子さんが久しぶりにイラスト書いてた。
エジプトでイスラム教に触れ、ケニアで、エイズや貧困のなかの恋愛について学び、新鮮な驚きで頭のなかぐるぐるしてましたけど、なんというか、非常に保守的なものと最先端を両方を見てしまっている感じだ。そして、日本の結婚率はますます低下している。
結婚って、結局、女性が社会的にも経済的にも、存在そのものが弱かった時代の、唯一、女性を守る手段だったんだなあとしみじみ思う。昨日のシャネルの映画でも、結婚すること=守られることであったし、シャネルは好きなひとと結婚できなかったからこそ、仕事に命を賭けたとも言える。
今では、結婚しなくても女性は不自由なく生きていけることになったのは事実。さらに、同性愛の場合も、まだ、多くの差別や困難はあるにしろ、日本やアメリカの場合は、とりあえず、楽しめるところくらいまではいっているのではないか。恋愛がとても自由になっている。
けど、一方で、恋愛の苦手なひとは、結婚できない…という現象も生んでしまった。かつてなら、見合いなどでなんとなく、結婚していたはずなのに、誰からも(社会からも)強要されない結果、生涯独身って場合も少なくなくなった。
結婚して、誰かと添い遂げることが一番いいこととは思わないけど、恋愛が苦手で、相手を見つけるのが得意じゃないと、結婚できない…という現実が起こることについては、恋愛の自由を標榜したひとたちは、予想してなかっただろう。80年代、誰もが恋をすると思われていたのだ。
70年代の初の恋愛自由化時代は、自由にしたいひとは恋愛結婚して、そうじゃないひとは、まだまだ見合いという手段があったのだ。しかし、その以後、恋愛>すべての結婚の理由となってしまった。
しっかし。バブル崩壊くらいから、誰もが恋愛するわけじゃない…ってことが、明らかになってきた。昔、取材先の女性から言われたことがある。「テレビドラマって恋愛ものか嫁姑ものしかなくて、つまらない。もっと女の友情とか恋愛に関係ないお話つくらないの?」と…。
そうなのだった。恋愛がすべて(=男がすべて)じゃないひとがたくさんいたのだ。(いるのだ)。
だから、今、婚活とか言ってるんだろうなあ。見合いの時代へ戻っている。いろんな選択肢が増えることはよいことだと思うし、「Lの世界」みたいに、レズビアンで人生謳歌するもありと思うので、結論から言えば、やっぱり、自由になって良かった…凡庸な結論かもしれないけど、そうとしか言えないのであった。
一度知ってしまったら、元へは戻れないからね。