山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

舞台「て」@ハイバイ



ミニはよく、玄関で寝ている。靴が散乱しているのは、人間が脱ぎ散らかした結果かもしれないし、ミニさんが自分の寝る場所を確保するために、動かしたのかもしれない。深くは追求しない。



ハナ先に靴…というのは、嗅覚に優れた犬にとって、つらくないのだろうか。自分だったら、履き古された靴の間に顔を差し込んで寝るなんてごめんだ。

あ、意味のないことを書いてしまった。今日は、もっとちゃんと書くことあるのに。

今日はですね、池袋の芸術劇場で、最近、ファンになったばかりの劇団「ハイバイ」の「て」という芝居を見てきました。いや~面白かったです。家庭劇のタランティーノっていうか。

内容は、ある家族の数日間です。95歳でぼけ始めたおばあちゃんがいて、過去に暴力をふるって、家族を震撼させていた父親がいて、脅えているのか、あきらめを通り越して、奇妙に明るい母親がいて、家庭内暴力(…とわかりやすくまとめていいかどうかは自信がないけど…)を受けて育った結果、それぞれに傷を背負った四人の子供たちがいる。久しぶりにおばあちゃんの家で集まったのだけど、仲良く再会…というわけにはいかず、それぞれの感情が爆発する…といったような内容であります。

こう書くと、かなり暗い印象になりますが、いえいえ、どーして、深刻な状況って、客観的に見るとものすごくおかしかったりするので、自分、かなり、大笑いでした。非常にうまい。時間軸が微妙にずれて、表現されていくのが、自分などは、「カット割り」みたいだと思いました。舞台の終わりに、演出家岩井秀人氏とそのお母様の対談があり、なぜ、そのような時間軸のずれた演出になっているかのヒミツが明かされたのですが、見ているときは、これは、映画でいうとカット割りの役割りを演劇に応用したのだな…と解釈していました。(しかし、全然違ったようです)。

なぜ、「カット割り」の応用…と考えたかというと、普通、舞台だと、観客は、自分の視点で見ているわけです。映画だと、状況のわかる広いサイズの映像があったり、誰かのアップがあったりする。それによって、「ここは、このひとの顔の表情を見てくださいね」という演出側の意図が伝わるわけです。話しているひとのアップを撮らず、聞いているひとのアップを撮る…ということもあり、そういう場合は、しゃべっているひとより、聞いているひとのリアクションを見て欲しいということになります。

しかし、演劇はそうはいかない。漠然と全体を見たり、役者ひとりを見たりしますが、その視点の選び方は観客に任させているわけです。それをあえて、時間軸をずらして、同じシーンを演じることで、ここではこういう視点から見てください…という演出サイドの意図を伝えたものなのかと思ったわけです。映画監督タランティーノの初期の傑作「レザボア・ドッグ」にそういう演出がありました。
なので、「憎いことするなあ」って思っていたのだった。(が、何度も言うけどちがってた)。

でまあ、そういう内容なんですが、笑いつつ、考えこむという芝居でした。芝居終了後、岩井氏のお母様が舞台にあがり、親子トークみたいなことになりました。今日は、この企画があったので、どーしても行ってみたかったのでした。岩井さんという方はひきこもりだったそうで、そこから抜けて、芝居をやっている。お母さんはどんな話をするのかなーって思ったわけです。前作のリサイクルショップの話が確かお母さんの経験から作った…ようなことも聞いていたし。それと自分の母親とトークする…ってすごいなあと。

結果的に言うと、これもまた、面白かった。お母様はカウンセラーのお仕事をされているそうで、はきはきとした 聡明な方で、一方で息子を深く愛しているようで、とてもよい感じでした。話も面白かった。しかし、自分が一番ショックを受けたのは、岩井さんのお母さんように、聡明でクールで、仕事を持ち、なおかつ息子をきちんと愛しているような親の子供でもひきこもりになるんだなってことでした。自分は子育ての経験もないし、ひきこもりの家族をあまり知らないので、ひきこもりに対して、偏見があったのかもしれません。親が溺愛しているとか、放置とか、なにか強いマイナスの要素があるのではないかと…。

しかし、それはちがうんだなってことを思いました。もちろん、舞台の上の数分間で、なにがわかるのか!と言われたらそれまでだけど、どうやら、ひきこもりというのは、個々の家庭の親の問題ではなく、もっと広い、今の時代が発しているウイルスみたいなもので、かかるときにはかかるんじゃないかと。

実は、もうひとり、元・ひきこもりという男子を知っておりまして、一緒に仕事したことがあったんですけど、彼の父もまた、とても理解のある立派なひとだった。しかも、ダンディで。(あ、最後のひとことは余計だが)。

岩井さんはひきこもっていたとき、ゲームばかりやっていた…って仰ってましたが、「ゲーム」ってちょっと、やばい側面があると思ったりする。自分もですね、こんな年齢にも関わらず、ゲームにはまって数日、なにもできなくなることって、今でも時々あります。だからなるべくゲームしないようにしているんだけど、はまると自分を失ってしまうんだよなあ。パチンコ依存症なども同じだと思う。自分はもともと、ひとつのものに集中するとそれから離れることがなかなかできない性質だからね。

で、そういう性質って、悪い方向にふりきると人生を無駄にしてしまうので、意図してですね、小説を書くとか、仕事をするとかに振り分けております。過剰な恋愛感情とかゲームとかそっちに向ける労力を他に向けることで、力をお金に換えているのだ。いえ、そのほうが、気持ちもすっきりするし。
あ…話がそれました。というわけで、劇団「ハイバイ」の「て」おもしろうございました。しかし、真実を告白すると、頭の10分くらい見逃しております。というのは、開演ギリギリで、芸術劇場小ホールにたどり着きました。ばたばたとチケットカウンターに行き、ネットで注文した山田です…と述べたら、「そんな予約入ってない」と言われました。「えー」とむっとして答えると、「でも、大丈夫です。まだ、席ありますから」と言われました。なんで予約されてないんだよ…さっき、確認の電話もしたのに…とむかついていましたが、そんな文句を述べるより、早く見たいと思い、言われるままにチケットを購入し、劇場に入りました。

すると、ずいぶん豪華なセットです。役者さんも西洋の時代劇みたいな恰好をしていて、おおがかりな舞台です。「へえ、こんなんもやるんだ、ずいぶん、作風が変わったんだなー」と見ておりました。新劇みたいな演出でしたので、いつかこれをひっくり返すのかな?とか期待しておりましたが、途中で、これは絶対へんだ、これはハイバイじゃない…と気づきました。あわてて、席を立ち、受付のひとに言うと、「ハイバイはとなりの劇場です」だって。とほほ。

小ホールってふたつあったんだー、知らないよ。けど、こっちのお芝居の方が、親切にハイバイの劇場まで案内して下さって、辿りつくことができました。(本当にとなりだったけど…)。なので、あたまの数分見逃したー。残念。自分が悪いんだけど。

…ということで、連日の逗子往復運転、引っ越し騒動で、ちょっと疲れ気味ですが、今日の芝居を見て、うれしくなった。ちなみに、この芝居は、岩井さんご本人の家族にあったことが下敷きだそうです。なんかすごい。

そうだ、数日前から、映画「すべては海になる」の予告編がアップされました。映画のメイキングを撮った原田くんが作ってくれた。ナレーションは、しびれる声の坂東工さん!映画「硫黄島からの手紙」にも出演しているイケメン俳優さんです。ぜひ、予告編、見て下さい。下のバナーをクリックして、映画のhpに行くと見られますよん。