山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「チェンジリング」

昨晩、DVDにて、「チェンジリング」を見ました。

ううむ。これ、本当にあったお話なんですね。フィクションだったら、もっとちがう感想になるけど、実際あったことの映画化だとすると、感想が変わってしまう。いいのかな。

ヒット作なので、見たひとも多いと思うけど、ざっくりあらすじを説明すると、主人公は、アンジェリーナ・ジョリー扮する、シングルマザー。8歳(だったか)の息子を生き甲斐に、電話交換手の仕事で生計を立てている。舞台は、1920年代…だったと思う。

で、ある日、この息子が行方不明になる。警察に届けると、なかなか探してくれず、数ヶ月後、やっと息子は保護される。喜んだのもつかのま、息子だと警察がいいはる子供は全くの別人。母親は、「これは私の息子ではない」と主張するけれど、警察は、自分たちの手違いを認めたくないために、「あなたは混乱して、自分の息子がわからなくなっているんですよ」といい、反抗する母親を精神病として、精神病院に隔離してしまう。そんなことをやっているうちに、20人もの子供を誘拐して殺害していた男が捕まる。そのなかに、主人公の子供もいた。

ざっと、こんなあらすじ。なにより、驚くのは、当時のロサンゼルス市警がここまで腐敗していたこと。賄賂をもらうとか、事件をもみ消すとかなどはやりそうだし、想像がつくけど、母親がこの子は自分の息子ではない…と主張しているのに、それを認めようとしない…というのにはびっくり。フィクションでは絶対、あり得ない設定だ。

警察という権力を持った人間は、ここまで恐ろしいことをするんだ…と思う一方、主張しているのが、母親=女であるから、なおさら、話を聞いてもらえないんだなと理解する。女の意見など、まともに聞かない…という当時の状況を監督は、かなりはっきり描いていると思う。

これは正義に関する映画であるとともに、女性映画でもあるのだなーと思う。

しかし、ここでふと、思う。これは、1920~30年頃のお話なのだ。つまり、あの戦争の前。ロス市警ってひどいなあと思うけど、この後、世界は戦争に突入していき、もっと恐ろしいことが世界各地で起こるのだ。時代…というものを意識せずにいられない。

権力を持ったひとが、それを間違った方向へ使うことの恐ろしさをこの後の戦争で、私たちは知ることになるけれども、いや、しかし、人類って、権力を持ったひとが、恐ろしいことをしていた時代のほうが、むしろ長かったのではないか…とも思った。今、映画になってロス市警の腐敗、怠慢を見ると、ものすごく驚くけど、もしかしたら、当時は、「警察なんてそんなもの」という認識だったかもしれない。庶民レベルでは。

例えば、日本だって、侍がいた時代、罪なきひとびとが簡単に斬り殺されていたかもしれない。それに対して、人命を尊重せよ!と真っ向から考えることの出来たひとがどれほどいただろうか。もちろん、「このままではいけない」と考えるひとが増えたから、民主主義の平和な世の中になったんだろうけど。

自分たちが平和な時代に生きていることを、つい、忘れがち。また、女性がかつてはどれほど、ひどい立場にいたかも忘れがち。今の幸せは、先人が闘って手に入れたものなのだ…ということをこういう映画を見ると思い出す。そんな女性が、虫けら扱いだった時代に、自分の息子を救うために、正義を貫いた女性がいました…ということだな。

おさえた演出で、事実を淡々と撮っていく手法や、わかりやすい救いなど用意していないことに共感を持ったけれど、ちょっとまじめすぎるように思ってしまった。あと、正義の側=母親が、あまりに立派すぎ、弱気になるところとか、少しははめをはずすとか、そういうものがあったほうが、自分は好きだな…と思いました。

明日、大人計画の舞台に行こうと思っていましたが、突発的な仕事で行けなくなった。悲し。けど、どーしても行きたいので、来週行くことにしました。