山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「あの日、欲望の大地で」

渋谷で映画「あの日、欲望の大地で」を見る。

これはテーマ的に、どうしても見ておきたい映画だった。なぜなら、自分がこれまでテーマにしてきたことと通じるところがあるし、自分の映画の主人公とも共通の部分があるからであった。

監督は、「21g」や「バベル」の脚本家、ギジェルモ・アリア。正直、「21g」も「バベル」もあまり好きな映画じゃない。道具立てから名作を装っているけど、どっか、ちがう。脚本上の計算が作品にばれていて、底が浅い…ように思うことが多かった。(自分ごときが偉そうに批評させてもらうのもおこがましいが)、なので、あまり期待せずに見た。

けど、まず、シャーリーズ・セロンがすこぶるよかった。きれいだけど、生きることに疲れちゃっている感じ、性的にだらしない感じがとてもよく出ていた。仕事はちゃんとこなしながら、一夜限りの恋愛を繰り返している。「わかるわかる」という日本女性も結構いるはずだよね?…「モンスター」は傑作だったけど、シャーリーズ・セロンってほんと、度胸あるよなあ。こういう役をあえて引き受けていく。

それと、往年の美人女優、キム・ベイシンガーが、夫以外の男との情事にふける四児の母をこれまた、「疲れ」全開で演じていた。キム・ベイシンガーとシャーリーズ・セロンは、母娘の設定であるけれども、この母も娘も、セックスに溺れながら、ちっとも幸せそうじゃないのだ。いや、母親のほうは、不倫だけど、その渦中は幸せだったのかな。

キム・ベイシンガー演じる母親が情事にふけることになる背景はとくに描かれていない。が、想像できるいくつかの事例が表現されている。

ひとつは、2年前に受けた乳がんの手術。乳房を失い、そのせいで、夫とはセックスレスになっている。それと、偶然であったメキシコ人との愛。これらが、情事の背景だろう。つまり、病気によって傷ついた彼女を夫は慰めることができず、メキシコ人の男との愛情で満たされる…という筋書き。

しかし、そのままでは彼女は許されない。彼女の娘(大人になってからをシャーリーズ・セロンが演じる)によって、罰せられるのだ。さらに物語はつづく。母を罰した娘は、その罪の意識ゆえ、母と同じように道を踏み外していく。最初は許されない愛に走り、痛みを伴う愛に走る。傷こそが救いと信じて。しかし、それも長続きせず、彼女は、男を捨て、さらに心の荒野に出かけて行く。

物語は、シャーリーズ・セロンが、大した愛情も感じられないまま、数々の男と関係を持っている現状から始まる。彼女がこうなってしまった理由ー過去の体験が徐々に解明されながら、彼女を救うかもしれない男がメキシコからやってくる。物語は時間軸と土地をずらしながら進むので、ちょっと見づらいところもあった。が、内容的には、ああやって時間軸をずらすしか方法がなかったんだろう。彼女の「今」を説明する部分と、彼女の「これから」を予想させる部分を交互に描くことによって希望を見せたかったのかもしれない。

しかし、ラストに多少の不満を持った。彼女の過去が解明され、未来が暗示され、さあ、どうなる?というところでふいに画面は黒に落ちるのだ。そんな…まさか。ここで終わり?

そう思ってしまうのは、自分がテレビ的なわかりやすさ、解決に慣れすぎているからだろうか。充分希望を感じさせるラストシーンであったけれど、もっとはっきり答えを提示してほしかったのかもしれない。

それはともかく、全体としてはどうだったのか。ちょっとだけひっかかったのは、女たちが道を踏み外すには、それなりの理由があるのだ…という明確な意図だ。主人公たちは、ただのダメ女ではなく、そうなってもおかしくない立派な(かわいそうな)理由がある…という描き方。そこにちょっと疑問を持った。特別な体験をした者のトラウマの物語になってしまうからだ。

それだけじゃないはずなのに。そんなに大きな罪を背負っていなくても、ひとは簡単に、道を踏み外すもんなのに。そこらへんがちょっと好きになれなかった。母から娘へ、娘からまた、その娘へ…という、女性の血の連鎖…みたいなもんも好きじゃない。「女」という記号の解明みたいで。世代を超えて描かないと、女性の病理は解明されない…という謎解きがね、どうにも好きじゃないのだった。

しかし、シャーリーズ・セロンの演技がとても良かったので魅了された。あとさー道をふみはずす快感って楽しいんだよなーとか、久しぶりに考えてしまったヨ。

余談だけど、今日は料金1000円の日だったらしく、劇場は非常に混んでいた。年齢層の高い女性が多かった。オーソドックスな女性は、この映画の主人公のような生き方をどう見るんだろう。
「かわいそうなひとねえ」なのか「わたしとは関係のないひと」なのか。まさか「憧れる?」そこらへんをちょっと聞いてみたい気がした。

こういうテーマでもお客さんが来るのだな…ということは、自分の映画も大丈夫かしらん…とちょっと安心したりして。映画のチラシができたので、自分の映画のことばかり考えているよ。

そうそう。「あの日、欲望の大地で」のなかに、自分の映画と非常に似通ったシチュエーションがあって、びっくりした。心象風景が似ているのかなあと思った。あとね、自傷行為。自分はあえてそれを映像化しなかった。具体的に身体に傷をつけなくても、充分、心から血を流しているからだ。それをあえて、映像化したシーンを見て、微妙にゆれた。10代のとき、痛みを分けあうように、彼氏と傷つけあうシーン(タバコで肌を焼くのだ)が、良かった。そうなんだ、そうなんだよ、と思った。痛みを共有することでしか、つながれない時期というものがあるんだ。

けど、30代になってもやるのか。続けるのか。そんなことしなくても、充分、今でも心から血が噴き出しているのに?ううむ、ううむ。このシーン、わかるけど、ちょっとわかりやすすぎて、違和感を持った。

それにしても、こういう映画が作られていることはうれしい。自分に似たひと、似たテーマはマイナーじゃないんだな、描いてもよくなってきたんだなと思ったのだ。やっと時代が自分に追いついた…?冗談です。そんな偉そうに。

なんか、やっぱりちゃんとした作品、映画と小説をやらないといけない、深くそう思わせる映画であった。