三茶で大人計画の舞台「サッちゃんの明日」を見て来た。
いや~爆笑だった。しびれるきつめの笑いだけど。脳性麻痺で身体が不自由だけど、超前向きなナンバーワン営業マンとか、「びっこ!びっこ!」と連呼するアル中のオヤジとか、沖縄出身のムショ帰りの元・ちかんの調理師とか、この時期、MDMAと覚醒剤の売りやっているやつとか…飛ばしてます。自分の映画に出演してくれた猫背椿さんも、もろ肌脱いで、セクシーで時々ちょっと痛い、普段はトビ職のダンサー志望のシングルマザー(…どれだけ、肩書きがあるんだよ)を演じていた。
単純に笑いまくって、楽しかった反面、おう、やっぱり、芝居って(表現って?)、ひるんじゃだめなんだよなーと思った。日頃、国営放送さんからお仕事をいただいているので、どっかで自分のなかでリミッターがかかるしかけになっている。もちろん、仕事のときは、自分でリミッターかけるし、かけなければ、当然、かけられるんだけど、それは、テレビというマスを相手にするメディアだから当然だ。
それはそれとして、そこからこぼれるものが自分のなかにあるし、こぼれたもの…というか、そっちこそ作りたいものだったりするので、小説書いたり、映画撮ったりしているわけです。でも、人間、習慣つうもんは怖いもんで、リミッターかけなくていい場所でも、自分のなかで、知らずにリミッターかけたりするんだよなあ。
小説はたったひとりで向き合うので、そういうことはないんだけど、多くのひとが関わる映画のとき、自分のなかの不自由に気づいた。誘拐犯から逃げないひとみたいな…暴力夫から逃げない妻みたいな……両方、ちがうか、比喩が。
でまあ、そういう自分のなかのリミッターについて、ちょっと考えていたんだけど、今日の芝居を見て、あっぱれ、リミッターにはちゃんとさよならしないとね…と思いました。芝居っていいなーここまでやっていいんだ…いやどこまでやってもいいんだよねー。
そういうことを考えながら帰って来た。久しぶりに会った猫背さんは、スリムになっていて、キラキラしてた…。
アンチェイン・マイ・ハートな夜。
(自分をしばる鎖を自分で突き破らんとね)