山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

詩集「解決されない和音」



写真は大学のときの友達から送られてきた詩集。友人の作品である。

「解決されない和音」 野田修一著

友人は、大学を途中でやめてしまって、故郷に帰った。その数年後、なんとなく文通することになり、何年ぐらいだろう、2,3年間、かなり頻繁に手紙を送り合った。まだ、携帯電話もメールもない時代だったので、いわゆる手書きの普通の文通だった。

当時、自分は、テレビ番組のADをしており、ものすごく忙しかったけど、三日に一度くらい手紙を書いていた。元々、手紙を書くのは好きなので、ちっとも苦ではなかった。というより、今もこうして、毎日ブログを書いているくらいだから、なんやかやと文章を書くのが好きだったのだ。

その後、ものすごい年月が流れて、途中で文通は途絶えたけど、なんとなく、近況だけは報告しあうようになった。詩集の著者は男性だけど、こう書くと、なにか過去に恋愛でもあったようだけど、まったくそういうことではなくて、不思議な友情の続いている友達である。

ロシア語を学ぶクラスで、セリーヌという小説家の『夜の果ての旅」という小説が好きだ…ということで意気投合して、以来、友達になったのだ。セリーヌはフランス人の作家だけど。

大学にいた頃は、たいして話もしかなかった。孤高な彼は、俗にまみれて生きている自分とはちがった時間軸で生きているように見えた。

(背が高くで、美形で、テニスが上手で、お金持ちの息子で、女子がほっておかないタイプだったにもかかわらず、このひとは、いつもひとりだった…)。

そう、これは彼の詩集だ。
帯に載っている詩の部分を書いてみよう。

「いつか、また どこかで
 会えるだろうか 

 もはや
 おまえでなくなった おまえと
 わたしでなくなった わたしは 」

非常に突き抜けた内容の、静かに雨音が落ちるような詩集だった。主に、星空、宇宙の果てがテーマである。夜空を眺めて、自分たちが宇宙のくずとして消える日を想像するような…。

彼は故郷で仕事をしつつ、水彩画を描いて個展をしたり、詩を書いて、詩集を出したりしている。
自分のような、雑多なマスコミの世界には触れずに、自分の好きなことだけをしている。こういう生き方もあるんだな…と思う。

届いて、一気に読んでしまった。
不思議な読後感の残る詩集。

ずっと続いているんだな、あの頃に見ていたものが…。
それはどこか自分も同じだけど。