山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自殺を引き留められるか。

今日は、午後から打ち合わせが一件あって、その後フリーとなる。

柳楽優弥くんが主演している「戦慄迷宮」を見に行こうかと思ったけど、劇場に電話して聞くとかなり混雑しているみたいだし、体調がいまひとつ優れないところで、苦手なホラーを見たら、ホントに気絶するかもしれないと思ったので諦めて、早めに帰って来た。

(ホラーやスリラーはすごく苦手で、普通は見ない。非常に非常に怖がりなので…)。

すると、元・フォーククルセダーズの加藤和彦さんが亡くなっていた。自殺らしい。面識はないけど、なんというか、複雑な思い。ネットなどで記事をよむと、「うつ病だった」とある。仕事のゆきづまり→うつ病ってことなのかもしれないけど、なんか、「うつ病」とひとまとめにしてしまうのが、どうなのだろうと思った。

ミュージシャンとして、将来を考えたとき、若い頃みたいにはいかなくなって、それで悩んだり、絶望したりして、すべてにやる気がなくなって……と仮定して、それを「うつ」と表現すればそうなんだろうけど、それって、「うつ」という病いなのかな。病い…とはどうしても思えない。アーティストがいつか陥る逃れられない道なんじゃないだろうか。

もし、病いだとしたら、どんな治療法があるというのだろう。

音楽がなくても、楽しいことはいっぱいあるよ…とか、これからだって、また、新しい音楽できるよ…とか言われても、そう簡単に信じられないし、そんな保証はないし、そうまでして、生きていたくないもん…と言われたら、自分はなにも言えなくなる。

以前にある映画の企画会議で、「自殺したい」ひとを引き留められるか…というテーマで話あったことがある。自殺しようとしているひとが20代なら、引き留められるけど、中年のひとを引き留める自信は自分にはないと思った。…だって、正直、この先、生きて、そんなに楽しいことあると思えないもん。身体はどんどん老いていくし、できることも限られるし、楽しみについても、「慣れ」があって、そうそう新しい楽しみもないし。もう、いいや…って思うこともあるし。

なので、自分は自殺を引き留められないな-。自殺もひとつの選択と思ってしまう。親しいメル友がいて、そのひとは、合法的自殺法案を提唱している。どういうものかっていうと、たとえば50歳以上で、死にたいと思ったひとは、病院などで、痛みもなく、失敗もない、「安全なかたち」で自殺することを許される。財産の処分や、関係各所への連絡もすみやかに行われる。なにより、鉄道自殺して、電車を止めたり、ビルから落ちて、他人を巻き添えにしたり、家で自殺し、発見が遅れ、異臭をはなって迷惑をかけたり、その物件が売買できなくなったりを防ぐことができる。

安心して死ねる環境があってもいいのではないか…というのがその方の言い分である。そうかもしれないなーと思う。もちろん、そんなことになってはいけないのだろうけれども、そんな法律ができたら、今よりばんばん、自殺するひとが増えちゃって、「どーするんだよ」ってことになるかもしれない。

けど、救える自殺と救えない自殺があるような気がする。たとえば借金だったら、救えると思う。けど、自分のうちがわでの行き詰まりだった場合、いったい、どこまで救えるんだろう。ここらへんは少し懐疑的。

知り合いの精神科医が言っていた、
「死は最悪の結末ではない」
という言葉をこういうとき、思い出す。

(今日は、マイナス方向に志向が振り切っているので、すみません)。

…とはいえ、明日スタジオ収録なんだから、目を覚まして、頑張らねば。それにー明日は楽しい俳優さんが出てくれるので、実はすっごい楽しみなんだった。小道具もいろいろ作ったし。嵐の設定だし…。楽しみだなー。…なんだ、生きる意欲、いっぱいあるんじゃない、自分。

お粗末。