山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

二重人格

そんなわけで、昨日は、自分の映画の初号だったので、しかも、ひさしぶりにがっつり見てしまったので、自分のなかの人格の「弱い」方が、流出してしまい、ちょっと変な日記だったかもしれません。

今日はですね、打って変わって、非常に「前向き」「働き者」キャラで一日を過ごしました。朝からいろんな打ち合わせ、会議があったので、「弱い自分」を追い出しました。その様子を見ていた、映画のpから、「二重人格なのか」と言われたので、ああ、そうかもしれないと思いました。

二重人格というと、ジキルとハイド、天使と悪魔、善人と悪人、警察と犯罪者、猫と犬、老人と海、戦争と平和、あーもうなんだかわからないけど、いわゆる、二元論、正反対のものがふたつあるという印象になります。

けれども、ひとというのは、二重どころか、多重であるのが普通だと思います。確かに自分の基本姿勢は、弱っちい、生き物ですが、長い人生の間にさまざまな経験が織りなす、層のようなものがあり、核に弱い自我がありますが、その周囲をいろんな人格が、天ぷらの衣のように、あるいは、卵の白身のように、あるいは、十二単の絹衣ように、包んでいるのです。

そして、時と場合によって、いろんな衣の部分を見せていく。どれが本当で、どれが嘘なんてことはないように思います。よく、「本当の自分」なんてことを言いますけど、ひとつに限定されるはずはなく、だらしのない自分もいれば、きっちりしているときもあれば、イヤなひとになる日もあり、どン欲な日もあり、清純な乙女に戻る日もありましょう。

結局のところ、そのような多種多彩な人格を総合しての自分なわけで、本気で弱いばかりだと、とうの昔に、この世に存在していなかったでしょう…。あるいは、長くやってきたテレビの仕事のおかげで、「弱い自分」を追い出すメカニズムができあがっており、「仕事モード」に入ると、テキパキするのかもしれません。

一方で、小説を書き始めるとひきこもるので、別人格が大きくなり、テレビの仕事がちょっとできなくなったりするんですよねー。不自由なんですけど。昨日は自分の作品の世界に入ってしまったので、出てくるのに時間がかかってしまって。今は抜けたので、「テレビのひと」「大人のひと」「仕事のひと」になっています。

どっちも自分である…と。

自分のなかに少なくとも、ふたりいて、ひとりは映画を作った気の弱いひとで、もうひとりは、その映画をクールに宣伝しようとしている、強いひとです。…強くもないけど。

…というわけで、今日は元気でした。