山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「沈まぬ太陽」と女。

昨日見た、映画「沈まぬ太陽」について、もう少々。

これは、日本の大企業を舞台にした、闘う男の物語である。その世界では、いろんな種類の「男」が描かれる。出世のために仲間を裏切る奴、左遷されて、犯罪に手を染めるやつ、腹黒い政治家、志の高い事業家、おそろしいフィクサーなどなど、まあ、いろんな奴が出てくる。

一方、女性は……どこまでも夫に従う妻、男のためにスパイ行為もする愛人、お金でうごくホステス、嫁に行く主人公の娘…など、みんな、「男」によって生き長らえる女性ばかり。彼女たちにとって、人生で一番、大事なのは、(たぶん)「男」なのだ。男たちにとって、一番大事なのは、仕事だったり、名誉だったり、お金だったりするのに…。

この物語は、1960年代末から85年頃までなので、「そういう時代だったんだ」と言われたらそれまでだけど、苦悩するサラリーマンである、恩地(渡辺謙さん演じる主人公)もたいへんだけど、この時代の女のひとって、ほんとに「女」としてしか生きられないひとが多かったんだなーと思う。

女はビジネスの世界では常に脇役…どころか、通行人程度で、重大なことは全部男たちが決めて、苦悩するのも男なら、喜ぶのも男たちだ。女はそのおこぼれのなかで、自分がくっついている男の運命に左右される。愛した男が、出世すれば、いい目を見て、男が落ちぶれたら自分も終わるのだ。ああ。

そういう時代だったのだ、と言ってしまえばそれまでだけど、それから比べたら、今は、ホントにいい時代になった。アメリカでは、女性が大統領候補にだってなったんだし。あと30年もしたら、女性もメインの闘いに登場する「沈まぬ太陽」みたいなドラマが生まれるかもしれないな。

そんなことを思ったのだ。登場人物の女性たちが、あまりにいにしえの「女性像」を生きているから。悲しくてね。

今日は、打ち合わせ一件のあと、編集。なんかとても眠い一日でした。

明日はちょっと楽しみな一日。