山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

舞台「レ・ミゼラブル」

オフライン編集の合間をぬって、日比谷にてミュージカル「レ・ミゼラブル」を見て来ました。

主演のジャン・バルジャンを演じるのは、別所哲也さんでした。上背があるので、舞台映えして、すてきでした。

「レ・ミゼラブル」というより、自分は、「ああ、無情」というタイトルに慣れ親しんでいました。というのも、小学生の頃、このお話がとても好きだったのです。絵本、あるいは、小学生向けの挿絵のある本で読みました。いちばん、初めの銀食器のくだりのところが、もっとも印象的で、あの逸話については子供ながらによく考えたことを記憶しています。

銀食器のエピソードというのは、主人公・ジャン・バルジャンが、パンひとつ盗んだ罪で、19年も刑務所に入り、やっと出所するけれど、仕事にありつけず、さまよったあげくに教会にたどり着きます。そこで、神父が夕食を用意してくれるのですが、食卓にならんだ銀食器に目がくらみ、ジャンバルジャンはそれを盗んで逃げるのです。しかし、途中で捕まり、持っていた銀食器とともに、神父のもとへ、刑事や野次馬と一緒に連れてこられます。

すると、神父は言うのです。「それは彼が盗んだのではない。私がプレゼントしたのだ。銀の燭台も持って行きなさいと言ったのに、忘れたようだ」

そう言って、さらに銀の燭台もジャンバルジャンに差し出したのでした。その神父の広い心に打たれて、ジャンバルジャンは、まっとうなひとになるのですが、この時の神父の行いに、子供ながら胸を打たれたのでした。今思えば、キリスト教的倫理観というか、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」みたいな……いや、ちがうか…。

子供でしたから、ストレートにこの神父の行いに感心したのでした。しかし、その後もジャンバルジャンの人生は、ひどいことばかりが起こり、私の読んでいた本では、その度に、「ああ、無情、なんとかわいそうなジャンバルジャン…」みたいな、文章が毎度出てきたのでした。だから、「ああ、無情」ってすごく記憶に残っている。「レ・ミゼラブル」の翻訳なのでしょうけれども、今だったら、
「なんて、悲惨」ってところか。

そんなわけで、幼い頃に読んで以来、すっかり忘れいた物語を、ミュージカル仕立てで見ることができて、新鮮でなおかつ懐かしかった。劇場は満席で、お客さんたちの声援がとてもあつい。こんなに愛されている舞台というのは、作り手がわはさぞ、うれしいだろうなーと思いました。

そして、この物語は案外、今の時代にマッチしているのではないか…とも思った。また、格差社会などど言われているし。もちろん、「レ・ミゼラブル」の時代の悲惨さとは比べものにならないくらい、自由で裕福になったとは言えるけど。でも、そんな時代でさえ、「変えよう」としたひとたちがいたこと。諦めずに、改心したジャンバルジャンみたいなひとがいたこと…それらは励みになるよなあと思った。この時代を経たからこそ、フランスは自由を獲得したわけだし…。

そういうことをつらつら思った。

編集の進み具合は順調。今日から11月。あと2ヶ月。フル稼働で、働くぞよ。