山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

渋谷がなくなる日。

ああ、自分、なにやってるんだろう…って思わないようにしないといけない。

というか、そういう後悔をしなくてすむように、日々気をつけないといけないんだけど、気づくと、「あれ、自分、なにやってるんだろう」ということはよくある。というか、そういうことの連続なんじゃないか、人生…とほほ。

そんなことより、渋谷がなくなる日について、想像してみた。私はギャルとかそういう世代ではないが、中学・高校が渋谷の近所だったことをきっかけに、生涯、渋谷で買い物をしてきた人間であった。映画を見るのも渋谷であるし、マッサージやさんもね。そんなわけで、一番馴染みのある町であるが、いずれ、渋谷は渋谷でなくなるだろう…ってことについて、うすぼんやり考えた。

その犯人はインターネットだろう、多分。ネットによって、世界が変わるということは今更言うべきことでもないけど、やっぱり、もっと変わっていくのだろう。たいていのものをネットで買うようになった今、それが進むと、町から店が減るんじゃないだろうか。たとえば、自分はペット用品はすべてネットで買っている。犬のエサとかペットシーツなどである。なので、昔は結構でかけた、ペットショップへは全く行かなくなった。本しかり、文房具しかり。

町から店が消えてゆく。

町から店が消えていくとどうなるんだろう。でも、飲食店は生き残るよね。全部をデリバリーですませるってわけにはいかないから。それでも、小売業の店は減るし、デパートも芳しくないようだから、街中から店が減るんじゃないだろうか。

どんどん増殖するに見えた都会だけど、ネットによって、増殖が止まり、というか縮小が始まる。食料はどんなにネットが進んでも、小売店舗は生き残ると思うから、こじんまりした町が増えるかもしれないなー。

自分が大切に思っている映画館も、家で大画面で見られるシステムができれば廃れてしまうだろうし。町本来の意味が変わってしまうかもなー。渋谷じゃないとダメな部分がなくなる?けど、町にたむろする若者たちはどーなるんだろう。それはそれで必要だろうし。

いずれにしても、渋谷が渋谷じゃなくなる日は確実に近づいているのだ。それがいいか悪いかはわからないけど。

…まだ、あまり考えがまとまっていないのに書いてしまった。相変わらず、忙しく、相変わらず、風邪が治らないので、頭、ぐるぐるなので。

呪文のように、「ひとつひとつ終わらせる」と言い聞かせながら、働いています。自分のなかでも、毎日、なにかが確実に終わっていく。