山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

メディアの劇的変化?

ミクシィのアニマルパラダイスっていうのをやっている。

牧場があって、そこで、キツネやサルやウサギを飼って遊ぶゲームみたいなものだけど、最近、この「飼うもの」のなかに、「酔っぱらいオヤジ」とか「酔っぱらう彼女」という「人間」も現れた。

いくばくかのお金で、オヤジや彼女を買うことができる、キツネやくまを買うのと同じように…。

で、このオヤジがいかにもオヤジ然としていて、面白く、片手に一升瓶を抱えて、すぐに酔っぱらう。酔っぱらうと財布を落としてくれる。彼女のほうもすぐに酔っぱらい、同じく財布を落とす。まあ、それだけなんだけど、動物を飼うより、ニンゲンを飼うほうがなぜか萌える。ここで、萌える自分はいけないひとなのだろうか。

なんで、キツネやサルより、ひとを飼いたくなるのかしら。以前に、「男の子牧場」というイケメンを育てたり、友達同士でイケメンを交換できるゲームができたとき、倫理的な問題になって、すぐに消えてしまった。私自身はこのゲーム、やったことなかったけど、案外、やったらはまったかもしれない。

戦闘もので、ひとを殺したり、ばんばん死んだりするゲームはいっぱいあって、それはもはや、とやかく言われないのに、「ひとを飼う」ゲームは反感を買うのだな。けど、売られているゲームならきっともうあるのだろうし…。

短絡的に考えると、ゲームでひとを売り買いするようなことに慣れると、大人になってからまずいんじゃないか…って思うけど、でも、自分が子供のころだって、「人生ゲーム」とかあって、子供を作ったり、破産したりしてたよな、ゲームの上で。でも、それをリアルと取り違えたりはしないわけで。だから、ゲームはゲームで問題ないのかもしれない。

さっき、ツイッター覗いたら、「メディアはどうなる…」みたいなテーマでユーストリームでホリエモンやツダるのひとの会話を中継してた。もう、中継は、しようと思えば、誰でもできるんだよね。技術的には。けど、視聴者の数をテレビほど集められるかは別の問題だよなあ。ビデオカメラの発達で、誰も映画のようなものを撮れるようになったけど、どれだけ観客を集められるかは別の問題だ。

観客なんかいなくていい、撮りたいものを撮るだけだ…というひとにとっては、技術の進歩は嬉しいものだろう。絵画だって、誰に認められなくても、描くことができればいいというひとにとっては、100年前から自由だったはずだ。小説なんて、もっと前から、紙と鉛筆さえあれば、「書く」ことと「作品」を作ることは誰にだってできたんだ。どれだけ読者がいたかを問題にしなければ…。

なので、ユーストリームで中継できるようになったことは、たくさんのひとに紙と鉛筆が渡ったことと同じだ。けど、紙と鉛筆なら、昔から持ってなかった?

えっと、だから、メディアの変化というのものはあるかもしれないけど、それが劇的な変化では案外、ないようにも思えてきた。ちがうのかなあ。これって、自分が変化を望んでいないから、そう思うの?いや、望んでいなくないけど…。

激変!と言って騒ぐことにあまり乗る気がしないだけかな…。ちょっとわからないです。

とはいえ、インターネットの出現が世界を変えたことだけは確かだろうなあ。自分にとっては、ネットの出現はとてもプラスだった。電話が苦手な自分としては、メールがこの世にあって、本当に良かった。ネットのおかげでこうしてブログもできるし。基本的にタダで、自分の書いた文章を掲載することができるんだもん、すごいいいことだよ。

もちろん、今だって、お金もらって原稿書いて、テレビ作っているけど、お金もらわなくても、こうして書く場所があって、誰にも「直し」を指示されないってのは最高なのであった。

やっぱり、劇的変化なのか…。

今月いっぱい忙しいので、それを乗り切ったら、いろんなこと、ゆっくり考えたいです。