山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

孫正義LIVE2011

ぐったりと疲れていたので、もう、寝ようかなと思いつつ、ネット上にいた。それで、ソフトバンクの社長の孫正義氏の講演にたどり着いた。

すごい。これ、2時間以上ある。それがそのまま、ustreamで、見られるようになっている。非常に聞き応えのある、内容だった。4月5日には消えてしまうらしいので、見てないひとはぜひ。


孫正義LIVE2011

内容を聞いて、いろいろ考えることがあったし、だらりとしてないで、ガンバローと元気も出たけど、もうひとつ別の大きな変化について考えた。

まず、自分はテレビ業界の人間だけど、二時間のスピーチをそのまま放送するってことは、あり得ない。どんなに人気者の話であったとしても、2時間、ひとりがしゃべるだけでは、「もたない」と思われている。この孫さんのスピーチが「すごい!」ってことになったとして、それを番組にすることになったら、まず、「編集」される。

全部を孫さんのナマの声でつなぐのではなく、ある部分は、写真とナレーションにしましょう…という提案がかならず出てくる。あるいは、再現ドラマにしましょう…とか。ひとが延々話すのは、「もたない」と強く思われているのだ。

けれども、この講演を聴いていてしみじみ、ノーカットノー編集だからいいんだ…と思った。余計なディレクターの演出がないところがいい。そのままの話が伝わってくる。孫さんが15歳で、アメリカ留学を志した話から始まるんだけど、普通のテレビだったら、そこで、アメリカを想像させる音楽を流し、映像を使って…などという演出が入るだろう。けど、そういうの、いっさい、ない。

2時間、孫さんが立ってしゃべるだけ。ネット上の動画も、いわゆる業界の常識では、「五分しかもたない」と言われている。だから、映画の予告編とか、いろいろなものは、5分以内をめどに作られている場合が多い。自分のドービル映画祭日記も5分以内になっている。

けどさ。

最近、思い始めていたんだけど、もう、余計な編集はいらないんじゃない?って感覚。ディレクターがさ、適当なところで、ひとの話を切って、都合良く編集する時代は、終わりを告げつつあるんじゃないか。(もちろん、放送時間の限られたテレビでは、ディレクターがまとめないと収集がつかないんだけど)、ネットになってからは、素材でいい部分がある。もちろん、編集バージョンも必要だし、ガイドも必要だけど、ノー編集版も明らかに存在するようになる。

よくできた話は、ノーカットでいいのだ。よくできた落語は編集いらないもんね。

孫さんの話の面白さと先見性にも驚いたけど、編集いらずになっていく、映像業界の未来についても深く考えさせられてしまった。

特にドキュメンタリーね。ニュースとか。フィクションは編集が絶対必要だけど、事実を報道するものは、編集が邪魔になってくるかもしれないなー。

朝になってしまったけど、全部見てよかったー。

元気出ちゃった。