山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ハート・ロッカー」



意味なく、雨の日のミニの写真アップ。意味はあるか。…カワイイから。

今日は、日が暮れてから、六本木で映画「ハート・ロッカー」を見ました。なんかすごく疲れた。自分も一緒に従軍したような気持ちになりました。ずっと集中力を要求する作品。すごかった。

これって、戦争に関する映画だけど、仕事に関する映画だとも思った。イラク戦争に従軍する、爆弾処理班の人たちの物語。主人公のジェイムズは、爆弾処理のプロ…というより、職人。この戦争の意味とか、敵は誰とかそういうことはあまり考えずに、目の前の爆弾を処理する。その腕前は一流なんだけど、賭ける情熱も強烈なのだ。死の恐怖も吹っ飛ぶほどの集中力。そこには敵も味方もないように見えた。

そこに爆弾があるかぎり、僕はそれを解体しつづける。善悪の彼岸を越えて…。

途中で、敵と戦うシーンもあるけれども、そこでも、敵への憎悪というよりは、「闘う」ことのプロとして動いているように見えた。プロの戦士。

映画の冒頭で、「戦争とは麻薬である」というテロップが出るんだけど、確かに、ジェイムズは、麻薬を求めるがごとく、過酷な戦場での、死と隣り合わせの爆弾処理の仕事に、夢中になっている。やっと生き延びて、アメリカに戻り、平和な家庭に帰っても、満たされたように見えない。そして、求めるように再び戦場へ戻っていく。

なんだろう。戦場で兵士として働くことをリアルに描ききっていると思った。そこには、ロマンチシズムも、過剰なかっこよさも、惨めさもない。過大評価でも過小評価でもないように思えた。それに徹したことがすごいと思った。戦争ものって、どっかで、ヒューマニズムを描いてしまうとうか、「泣かせ」の場面を作りたくなるでしょう。でも、そういう手業を否定して、最初から最後まで同じトーンで、実写のように描いていく。そこがよかったなあ。

いくらでも、戦争の悲しみを盛り上げること、できただろうし。だから、戦争に関する映画なのに、職人の仕事に関する映画のようにも見えたし、ワーカホリックの映画にも見えた。それでも、主人公のジェイムズは、自分にはとても魅力的だった。優秀な外科医みたいに見えた。

でも、疲れた。緊張を解くことを許すシーンが全然ないんだもん。たとえば「息もできない」だと、暴力を中心に描いているけど、途中で、80年代の日本のテレビドラマみたいに、メロディアスな音楽がかかって、主人公たちが、町を歩き回るPVのような映像が流れていくところがある。そういう部分で、それまで、暴力を見せられ続けた、緊張を解くことができる仕掛けになっていた。けど、「ハート・ロッカー」にはそういう隙がない。

緊張を強いるんだよ。作る側もずっと緊張しているし、戦場ってそういうもんだから、気を抜くんじゃない…って言われているみたい。

戦争もの、苦手なので、もう一度見たいかというと違うけど、よくできた作品だった。お客さんにいっさい、コビてないように思えたのがよかった。いや、それも演出の方法かもしれないけど。