山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ショーン・ペンの言葉。



意味なく、ミニの写真アップ。

今日は、一日家にいた。本当は、吉田大八監督パーマネント野ばら」「の試写会があったんだけど、

前回15分前に行っても入れず、しかも、今日は最終試写ということで、30分前かもっと早く入らないと見られないだろうなあと思ったことと、

そんな倍率の高い日に自分ごときが見るよりも、しっかり映画を宣伝してくれるようなプロのひとが見た方がいいのではないか…という思いで自重しました。

(あるいは、朝、起きられなかっただけなのか……)

試写でこれだけの人気だから、話題作だし、とてもよい作品のようだよ。

公開になったらすぐ行こうと思うぞ。

それで、何をしていたかというと、「アクターズスタジオ・インタビュー」の「ショーン・ペン」を見ました。

なんだか、よかったなー。どこかで、ショーン・ペンって、もっと暴力的なひと、というか、荒くれ者を想像していたんだけど、実際は、もの静かでありながら、おちゃめで、正直で、それでいて、芝居に(映画に)対して、とても真摯なんだってことがわかって、感激しながら見ていた。

気に入ったセリフは…

 すぐそこにある日常に、「詩」を見言い出すような映画が、好きってところ。


大げさな仕掛けや高度な映像で見せるものより、日常を舞台にした、ささやかな物語が好きだってことだと思う。自分もそういうタイプの作品が好きだし、作りたいと思っているので、非常にシンパシーを感じた。

でも、その前に、「おそらく、自分のような志向は少数派だと思うけど…」って言ってた。うう、やっぱり少数派か…。

大きな事件だったり、SF世界だったり、やくざが(マフィア)がたんまり出てくるような映画が、主流なんだよね、アメリカでもね。

まあ、めげずに。

アクターズ・スタジオのDVDを見たあと、ツイッターで話題になっていたので、芦田宏直さんという方のユーストリームでの、講義の中継を見た。とてもエキサイティングで、夜ご飯も食べずに、2時間近く見てしまった。

単に、喋っているだけなのに。(テーマは「twitterの身体性」みたいなこと?)

昨日も、ユーストでやっていたラジオ中継(ダダ漏れなんとかってやつ)を延々見てしまったし、トークのようなものだと、ほとんど、誰でも中継可能なんだと思うと、すごい技術の進歩だ。

このラジオにしても、芦田さんの講義にしても、ラジオは「朝まで生テレビ」みたいだったし、講義は、編集の入ってない教育テレビみたいだし、中身としては、編集が入ってないだけで、別段、テレビ中継と変わらない。

けど、変わったのは、これが、テレビ局によるものではないってことだ。要するに、中身は同じだけど、配信方法が違うってこと。

これまで、テレビ局とかラジオ局とか、出版社、新聞社など、権利を持つ側しか、情報を発信できなかったのに、ネットによって、もう、なんでも、発信はできるようになってしまった。

革命的なことなんだと思うけど、けど、基本の、「おもしろそうなことを流す」という中身に対するモチベーションは、テレビと実は変わってない。

システムがどうであっても、「面白いもの」を見たいという気持ちは変わらないだろうから。

けれども、この「見たい」気持ちというのも、どこまで本物かって問題もある。テレビなどで、たくさんの広告費を使うと、ある程度は、ひとの気持ちを喚起することはできる。

「流行っているから見たい」って気持ちを持つようになるしね。

もちろん、一方で、どんなに広告費をかけても、ヒットしない場合もあるから、そんなに単純じゃないことは、視聴率競争の渦中に少なからずいた身としては、充分わかっている。

えっと、なんだっけ。

芦田さんの講義のテーマは、ツイッターがいかに革新的なメディアかってことで、それは、フラットであり、テーマによって分けられたものではなく、「今」どうなっているかが、ノンジャンルで経験できること、それに(=タイムライン)に触れることで、「自分」ってものに固執していた感じ方が、氷解し、いろんな自分を発見できるんじゃないか…みたいなことを言っていた…(と、思う。講義のなかでは、それをしきりに「微分」と表現されていた)。

ふうん、そうなのか。

自分がツイッターを始めたのは、正直、映画と本の宣伝に少しでもなれば…って気持ちと、あとは、単純に、なんとなく、楽しいから…ってことだったんだけど、そんな意味があったとは。

新しいメディアが生まれると、誰かが、かならず、それを評価するよね。ツイッター亡国論もあれば、ツイッターで一儲けみたいなこともあれば、ツイッター知らないと、時代についていけませんよ…などなど、いろいろ。それを聞くのも、また、面白いけど。

そして、この芦田さんという人物がどんなひとなのか、全然、知らなくて、講義のなかで、「超整理法」という本を書いた著者を、「野口は…」とか、最近小説も出された、東浩紀さんのことを、「東、今度、殴ってやる」とか、呼び捨てにするので、なるほど、最新の言論界の論客なのか、みんな、友達なんだなーなんて思っていたら、ツイッターで、東さんは、「このひと知らないし」みたいなことを言っていた。

ふむ。

この芦田さんというひとは、しゃべりが過激で面白いし、日記のなかの映画評を読むと、結構鋭いので、興味を持った。でも、各地でけっこう、けんかしているらしい。

自分は、ネット上で、けんかになるのがいやなので、(論争と呼べるレベルじゃないし)、そうなりそうなときは、スルーすることにしている。不毛なことが多いし、なにより、自分がひどく傷つくから。どっちが正しいかってことよりも先に、不快な言葉によって、深く深く傷ついてしまう。そうすると、他のことができなくなってしまって、なにひとついいことがない。例え、その論争で勝ったとしても、傷つくので、意味がない。

ネットでいやなことを書いてくるひとも、実際会えば、それほど、悪いひとじゃない場合が多い。実際、かつて、自分は、20年来の親友とメールでけんかし、絶交にまで、発展しそうになったことがある。(テーマは「不倫はいいか、悪いか」だった…笑)。けど、途中で、「無駄だから、1度会って話そうよ」となり、会ったらすぐに打ち解けて、仲良しに戻ることができた。

文章のなかの一部をとりあげて、あげあしとりをしていくのって、“遊び”のつもりならいいけど、不毛すぎるから。

というわけで、長くなってしまった。

考えが拡散してすみません。

でも、それがブログのいいところだ…みたいに、芦田さんが言っていたので、いいことにしょう。

(すぐ、影響を受けるのだった……W)