山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ウディ・アレンの夢と犯罪」

今日は、夕方、恵比寿で、ウディ・アレン監督の「夢と犯罪」を見ました。

タイトルにあるように、「犯罪」が起こりますので、ここから先は、危険地域です。映画のストーリーについて、触れますから、これから、この映画を見ようと思う方は、どうぞ、スルーして下さい。結末がわかってしまうと、いけませんからね。

とりあえず、見る予定はないという方、おつきあいください。ある種、映画らしい映画で、最後までちゃんと見て、結末を知ることで、いろいろ考えさせられる作品だからです。

映画らしい映画…というより、物語がしっかりしている…というほうが正しいかもしれません。映画ではなくても、小説としてもきっと深く味わえる展開です。

ここから自分が学んだことは、力もないのに、壮大な夢を抱くと、痛い目にあうんだな…ってことと、悪さをするなら、悪さに耐えられるだけの強さ(鈍さ)がないとダメなんだってことでした。自分も罪悪感にさいなまれやすいので、なるべく、悪事に巻き込まれないように気をつけております…笑。

いいですか、ここから、内容に入っちゃいます。

主人公は、二人の兄弟です。兄のイアンは、ハンサムで頭もきれるが、自分のことばかり考えているつめたい男。弟、テリーは、ギャンブルにはまると自分を見失うなど弱いとこともあるけど、兄よりは、優しい男。彼らの父親は、赤字続きのレストランを経営、兄のイアンは店を手伝っている。弟は、車の修理工である。いわゆる労働者階級の家族である。ちなみに舞台はロンドンです。

が、彼らには、憧れのおじさんがいた。母親の兄で、アメリカで整形外科医として成功した男。このおじさんが、この家族にいろいろと支援してきた。父親と兄が働くレストランも、このおじさんの出資だし、兄弟は、幼い頃、このおじさんに、「ゴージャスな経験」をさせてもらっている。

それゆえ、この兄弟は、「富」や「豪華な暮らし」に過剰な夢を持つ。中途半端に経験してしまったからこそ、「夢」を諦められない…とも言える。

この設定に、皮肉とリアリティ、さすが、ウディ・アレンだと思う。

ちょっと脱線すると、ものすごく貧しいから、お金持ちに憧れる…ということもあるとは思うけど、中途半端に近い位置にいるほうが、より、お金に執着する…とも思える。

というのは、自分は、都内にある私立の中学・高校に通った。比較的裕福な家庭の女子が多かったけれども、なかには、飛び抜けてお金持ちの娘たちもいた。世間的には、「お嬢さん学校」ということになるけれども、この「お嬢さん」たちが、実は、かなり、お金に執着心が強い。その後、共学の大学に通い、テレビの制作会社に勤めたけれど、いろんな集団を比べても、もっとも、「お金に執着心の強い」ひとたちが、集まっていたのが、その学校だったと思う。

なぜなら、お金があることの強さを間近で見ているからである。お金があることで、解決できたり、経験できることに幼い頃から触れているあまり、その力に魅了されているひとが多いのだった。

「努力するより、上手に立ち回って、お金持ちになりたい」と考える女子のいかに多かったことか。いや、自分もその洗礼のなかで暮らしていた。もちろん、彼女たちは、目ためを美しく飾っているので、なかなかそんな本心は見せないのだけれども。

…脱線が長引いた。映画に戻ります。

で、お金持ちに憧れるこの兄弟。ある日、弟がギャンブルで大負けして、多額の借金を背負う。兄に相談するもなかなか解決策はない。同じ頃、兄も、新進女優と恋に落ち、彼女に自分を大きく見せるために、さらにお金が必要になる。

そのとき、偶然、「アメリカのおじさん」がロンドンにやってくる。兄弟は、渡りに船とばかりに、おじさんにお金の無心を頼む。すると、おじさんから、とんでもない引き替え条件が示される。

それは、殺人。

おじさんにとって、邪魔な人物を殺して欲しいと頼まれる。弟はすぐに断る。殺人なんて絶対できないと。しかし、兄の心は揺れる。彼はそれをチャンスととらえるのだ。兄は、嫌がる弟を説得して、殺人を引き受けることにする。

そして、兄弟は、ひとを殺す。警察から疑われることもなく、兄弟はお金を手にし、一見落着する…かと思ったら、弟が罪の意識に目覚めてしまう。

弟は罪悪感から、追い詰められ、仕事もできず、夜も眠れず、異常な行動が増えていく。しまいには、“自首する”と言い出す。これに慌てた兄は、おじさんに相談。おじさんから、「弟を殺そう」と提案される。

さすがの兄も躊躇するが、背に腹は変えられず、弟を殺すことを決意する。

兄は弟を誘って、ヨットに乗って海にでる。このヨットは、二人でローンを組んで買った、「夢」の象徴のようなものだ。兄は、弟に睡眠薬入りのビールを飲ませようとするが、いざとなるとできない。再び、弟に自首を思いとどまらせようと説得するが、キレた弟に、投げ飛ばされ、なんということか、兄は死んでしまう。呆然自失となる弟。

画面はここで切り替わり、兄弟の夢だったヨットが、港に停泊しているシーンになる。刑事の口から、兄も弟も死んだことが報告される。「ボートのなかには、アルコールとドラッグ、よくある事件だよ」

そして、まだ、彼らの死を知らない、残された彼らのガールフレンドたちが楽しそうに買い物しているシーンで、映画は終わる。

ざっくり、こういうストーリーである。

後味が悪いと言えば、ものすごく悪い。アメリカのおじさんは、手を汚すことなく、自分の身を守り、そのヒミツを知った二人は、自ら、滅亡してしまった。諸悪の根源であったはずのおじさんは、当分、安泰だ。

死んでしまった兄弟がとことん、哀れに見える。身の程知らずの悪事(=夢)に手を出したがために、自ら滅ぶふたり。彼らをちゃんと愛してくれる女性を残して。

とても教訓めいた物語であった。おのれの能力以上の夢を見る奴は、早晩滅ぶものだ…みたいな感じ。そして、真の悪者は、なにもなかったように、生き延びる。

お金持ち=悪、という描き方は、不況の時代には、広く愛される結末だけれども、(なぜなら、映画の観客のほとんどが貧しい人びとであるから、金持ち=悪、貧乏人=心のきれいなひとたち…と描いたほうが大衆の支持を得る…とアメリカ映画界では言われている)、でも、この映画の後味が悪いのは、貧しいものも、悪だし、さらに、罰を受けてしまうからだろう。お金持ちは逃げ延びて…。

妙にリアルで痛ましい作品で、よく出来ていると思いつつも、暗い気持ちになってしまった。人生は残酷なのだ。

それにしても。弟役を演じた、コリン・ファレル…昔のブラッド・ピットみたいで、好きでした。