山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「アリス・イン・ワンダーランド」

パリへ行く飛行機のなかで見ました。飛行機に乗る前は徹夜だったので、すごく眠かったです。

なので、途中、何度か寝てしまいました。不思議の国の様子がいろんなアイデアでふくらませてあり、自分がもっと子供だったら、「うわー夢の世界!」と思えるかもしれないけど、すっかり大人になってしまった自分は、なかなかその世界へ入り込めませんでした。

が。

最後まで見て、この作品のファンになりました。

一番、惹かれたのは、この物語を貫く世界観でした。まず、主人公のアリス。父の冒険好きの血を受け継いだおてんばな少女だったはずなのに、今となっては、普通のつまらない女になってしまいそう。貴族の男から求婚され、お金持ちと結婚するのが、女の幸せよ…という世界観が支配する場所で生きている。ところが、貴族からの求婚に待ったをかけ、逃げ出すところから、不思議の世界へ入っていく。

これって、かなり、挑戦的なテーマだよなあと思った。あるいは、現代的?あるいはフェミニズム的。

で、アリスは不思議の世界へ落ちていき、そこで、悪の女王と闘うわけですが、ここでの闘いは、すみません、ていねいに見ていないので、言及できませんが、普通の物語のようにも思える。しかし、ここでも悪の女王が「悪」に染まってしまった背景が、精神分析的に描かれている。

おっと、ここからさきはネタばれありなんで、これから見よう、この先の話を読んでから見るのはいやって方はどうぞ、ここまでで。

で、悪の女王のお話。彼女には美しい妹がいて、誰もが妹を愛するので、嫉妬の結果、『悪』に身を染めることになった…という背景がある。ファンタジーなどでは、「悪の帝国」やら「世界征服を狙う悪者」はよく出てくるけれど、彼らがなぜ、そんなに「悪」なのか…なぜ、血も涙もないのか…に関する問いかけはされない。悪は最初から最後まで、わかりやすく「悪」である。

しかし、「悪」は最初から「悪」だったのだろうか…という問いかけを導入しているところが、アリスの不思議の国の新しいところだ。かように、この映画全体が、とても現代的であり、哲学的。

そんなわけで、アリスは、不思議の国において、悪を滅ぼし、平和へ導いて、地上に戻ってくる。

さあ、ここからが問題だ。不思議の国でひとかわむけたアリスは、地上でどうやって生きていくのか?待っていた貴族の男に、「結婚はしません」と断り、ひとりで船を設え、大海原へ出て行く。中国で貿易するのだーとか言いながら。

これにはびっくり。つまり、恋愛、結婚がすべてと思われていた女性の生き方にNO!を出し、起業して、海外に進出するなんて、まるで、ロマンチックイデオロギーの終焉と、昨今のカツマーブームとびっくるするほどシンクロしているではないか。

もう、恋愛や結婚は女のメインテーマじゃなくなったってことだ。少女から成長したアリスは、これまでの物語なら、大人の女になることによって、恋に目覚めて、求婚してきた貴族ではなく、たとえば、貧しいけど、心の優しい若者などと、真実の愛を見つける…なんてストーリーにしてもよかったはず。90年代くらいまでだったら、そういう結末が求められたんじゃないだろうか。

あらかじめ、地上のアリスに、貧しいけれど、気持ちの通い合う男がいると暗示しておき、貴族からプロポーズされる…などの設定を作っておき、不思議の国での経験を経て、真実の愛に出会う…という流れ…これがもっとも好まれるものじゃないのかな。あるいは、帽子屋と結婚するとかね。

でも、アリスはそういう人生を選ばないわけだ。男、恋、愛ではなく、自立を選んで、旅立つ。これは童話における、新しい展開なのだ。なぜなら、

アリスは旅立ちの前、いつまでも、結婚を夢見る中年の女に言う。

「王子様なんていないのよ」(来ないのよ…だったかもしれない)。

いやはや。

シンデレラにしろ、白雪姫にしろ、眠り姫にしろ、おとぎ話の世界では、女の幸福とは、王子様との出会いと結婚と相場が決まっていたものだ。それにたいして、「王子様なんていない!」とアリスは宣言したのである。

いや~気に入りました。

そうそう、王子様なんていないんですよ。なのに、子供のころから、童話で繰り返し、「王子様がやってきて、いつかあなたを幸せにしてくれる」と吹き込まれる身にもなってほしいものです。そして、王子様なんかいなくても、充分楽しい人生があるよってことを、ちゃんと教えないといけないんです、ホントに。

その意味で、とても好きな映画になりました。幼い子供にぜひ見て欲しいのです。