山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

どうすれば、作品が良くなるのか…

ご存知のように、よく映画も見るし、舞台にも行くし、本も読みます。テレビも見ます。

が、なるべく、否定的な感想は書かないようにしています。自分だって人間ですから…いや、人間ですからってことでもないでしょうが、「うわーひどい作品だな」とか、「なんで、こんなものがヒットしているのか」とか、「いったい、どこで感動するんだよ!」とか、思うことはあります。いや、悪いところというのは、目につきやすいものだし、つい、言いたくなるものであります。

が。

書かないことにしています。友人同士や同業者が集まったりすれば、それなりに批判もするけど、公の場では発言しないし、書き物にはしないです。(もし、書き物にするなら、本気で、それをテーマに作品として昇華できるようにがんばる)

なぜかっていうと、理由はいろいろあります。

1)自分も作り手だから

まあ、これが一番大きい。自分の作品をけなされたときのことを想像すると、できないです、人様の作品批判なんて。そして、たいていの批判は、作り手のほうで、わかっているものなんです。

「わー、言われるまで、全然、気づかなかった-、完璧だと思っていたよ…」なんてひとは少ないと思う。(わかんないけど)。それと、作品をけなされると、それが、「当たっている」としても、非常に傷つく。生きる意欲を失う。死にたくなる、マジで。命にかかわる問題だからです。

作品のためには、厳しく批判したほうがいいという意見もあるかもしれない。でも、そうは思わないんだよなあ。その場合は、優しい言葉で親身になっての指摘だったら、作品にとってプラスになるかもしれないけど、たいていの批判的な言説は、ナイフで胸を刺すような、泥水をいきなりぶっかけられるような、突然で、無礼で、容赦がないので、作品が良くなる前に、作者が死んでしまうからです。(まあ、私の場合だけど…笑)。

2)狭い世界だし。

映画にしろ、小説にしろ、作品というのは、たったひとりでつくっているものではありません。小説だって、それを担当した編集者もいれば、装丁家もいる。批判した作品に関わったひとと、いつ、一緒に仕事することになるかわかりません。せこい考えだ!と言われたらそれまでだけど、でも、実際、作った人、本人を前にして、批判できるのかってことです。

ネット上だと顔が見えないし、名前もわからないから、言いたい放題できるけど、同じ言葉を本人を前にして、その作品のスタッフを前にして言えるかな。私は言えない。面と向かって言えないようなことを、書いたりするのは、やっぱり、イヤだなと思う。

繰り返しになるけど、「ちがう!」と思っていることだったら、よく吟味して、個別に攻撃するのではなく、自分が「ちがう」「いやだ」と思った根拠を洗い、それを、自分の別の作品に織り込むことにしています。そしたら、言った責任もとれるしね。

同じようなことを、今日のほぼ日で糸井重里さんも言っていた。本人を目の前にして言えないことは、書かないよって。

さらに、同じようなことの発展系が、今日の朝日新聞に載っていた。

磯田道史の「この人、その言葉」という記事。

「どうすれば作品が良くなるのかの予言を 具体的に言い当ててこそ 尊い真の批評」

松田権六という漆芸の名工の言葉だそうです。岡倉天心が多くの芸術家を育てたヒミツを研究した人だそうで、天心さんの批評のしかたがよかったと言っている。以下、朝日新聞からの抜萃。

『天心先生の批評は、具体的で建設的であり、どこどこが悪いといった欠点の指摘は滅多に言わなかった』

で、さっきの言葉につながる。

『どうすれば作品が良くなるかの予言を言い当ててこそ尊い真の批評で、この批評こそ、創作につながる』

松田さんに言わせれば、「欠点の指摘は…発展や繁栄策とはならない」とのこと。

ホントにねえ、いいこと言うなあと思うわけです。

でも、ネットで作品の悪口を言うのは、作品のためじゃなくて、自分の憂さ晴らしだったりするよね。作者や作品のことを考えているわけじゃない。当然です。つまらないものを見て、つまらないというのは、自然なことだとは思う。けど。

ひとたび、それを言葉にして刻み、ネットに載せたら、自分だけの言葉じゃなくなる…ってことをやっぱり、考えていきたい。個人的な日記に書いたり、友達としゃべったりしてればいいけど、ネットって公の場所ですからねー。検索すれば、いつでも誰にでも読めてしまう。(もちろん読み手を限定する場合は別として)。

そういうわけで、自分は、作品の悪いところは書きませんよー。見方が甘いんとちゃう?と思われてたら、そうかもね…ってことです。だって、自分のなかでわかっていたらいいですもの。

それと、悪いところを指摘するのって、割と誰にでもできるもんです。良いところを褒めるほうが、テクニックとしては、高等です。褒める言葉を上手に探すほうが、文章修行にもなるし。

それと、自分は評論家じゃないし。いつまでも作る側のひとでいたいです。あと、ひどい作品であっても、「ひどい」と言った途端にその言葉が自分に返ってくるような気がして、知らずに自分が傷つきます。どこまで、傷つきやすいんだよ…という突っ込みもありましょうが、本当なので、しかたなし…笑。