山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

イスラム圏から来た青年。

昨日は、中東からコーディネーターの友人が来ていて、午後から会って話を聞き、夜は、彼と仕事をしたディレクター陣と合流して、朝まで飲んでしまった。

飲んで…っていっても、少量しか飲まなかったけど、久しぶりに朝の四時半ごろまで渋谷にいました。金曜の夜だったので、最初はものすごいひとだった。いや、最後までひとがたくさんいた。若者はいつでも、街で朝まで遊んでいるのだなあ…あたり前だけど。

昔、そういえば、朝帰りなどをよくしたものであった。すっかり忘れいていた。早朝のひとけのない街を、歩いたものだ。カラスや妙に澄んだ空気などに触れながら。ぼんやりした頭で、反省したり、清々したりしながら、家路を急いだものだった。それももう、過去の話だ…なんちて。

朝6時頃眠って、午後2時頃起きました。これは、結構、普段のタイムスケジュールなんだけど、夕方からまた、眠くなってしまって、18時~22時くらいで寝てしまった。夜通し起きているという意味では同じだけど、家でPC相手に起きているのと、外でわーわー話しているのでは、使う体力が違うんだなと今更思う。

中東から来た青年の話は面白い。日本人が失った、倫理観をゆるぎなく供えているので、たとえばひとつは、「山田太一」のドラマの主人公になれる。そして、中東のびっくりするような偉い方と知り合いだったりするので、国際スパイモノの映画か小説の主人公にもなれる。ドラマの主人公のような人生なのだ。

人生がドラマチックだと、世界観もドラマチックに生成されていくのだ…ということを彼と話していて学ぶ。自分のまわりにいるのは、テレビや映画や本を作っているひとが多いのだけど、それは、普通の業界に比べたら、変わったひとが多い世界かもしれない。

けど、それでも、日本のマスコミという大きなくくりのなかで生きている以上、それほどびっくりする世界観を持っているひとには出会わない。想像の範囲の思考方法であったりする。しかし、イスラム文化圏に長く暮らし、そこのひとびとと深く交流している彼の思考方法は、私のまわりのひとからは決して出てこない。

突然、世界を変えるのは、彼みたいなタイプなんじゃないかとしみじみ思った。軸がぶれていないんだよなあ。そして、その軸が、日本の暮らしに慣れきった自分には、ずいぶんと新鮮に映った。

そんなわけで、彼に刺激されて、小説を書こうと思った。書きたいと深く思った。そして、それを書くことでもう一度、自分にもいろんなことを問うことができるなあと思った。

新鮮な夜だったので、いつまでも続き、朝になってしまった。