仕事はまあ、忙しいんですけど、結構楽しんでやっているので、わりと気分は爽快です。勉強になるし、知的刺激を受けられるし、こういう仕事やっぱり好きなのかもしれないなー。「名曲探偵アマデウス・シベリウス」編、もうすぐ完成です。
なので、真夜中ですが、リラックスして、七夕のお願いを書いてみよう。
「こんなところに書いても、叶うわけない」と思ったひといませんか?
ノンノン!
願い事というのは、思っているだけよりも、「書く」と叶う確率は高くなります。しかも、それをひと目にさらすとさらに、確率は上がります。
「なわけないじゃん」と思ったひといませんか?
ノンノン!
まず、「書く」ことによって、主体は(=ひとは)、それまで漠然と思っていた願いをはっきりと自覚します。
「あのひと、好きだなあ」とぼんやり思っていたのと、「あのひとが好きだ」と書くのでは、思いの定着がちがうのです。だから、「書く」ことはとても大切。それと、書くことで、いったい、自分が何を望んでいるのかが、わかってきます。
本当にほしいもののことしか、書けなかったりするもんです。ひとは。
さらに、それをひと目にさらすことによって、ひとから手助けしてもらえるかもしれません。
ここに、「また、映画撮りたい」と書くと、ふと、ブログを見たひとが、「また、やりたがっているなら、一緒にやろうかな」って声をかけてくれるとか、俳優さんなら「出して下さいよ」って言ってくるとか、「資金任せて!」(なんてこと、あればいいけど…)って、闇のお金を持った人がやってくるかもしれません。
「沈黙は金」かもしれませんが、ひとりで胸に秘めていても、叶う確率は少ないです。恋愛にしろ、仕事にしろ、「秘める」ことの美しさもあるかもしれませんが、死んだあとで、「本当は○○さんを愛していたんですよ」みたいなことがわかっても、しかたないと思いませんか。自分は、そこに「美学」をあまり感じませんことよ。
なので、願いごとは書くのだ。書いてしまえば、たいていのことは可能になる。いや、もちろん、「世界征服」とかはさー、そうそう叶いませんから、できる範囲でございますよ。
<願いごと>
映画また、作りたいです。自分の小説、「まじめなわたしの不まじめな愛情」をですね、やりたいっす。
小説は書きます。真剣にまっすぐに書きたいです。テーマは決まっています。
それにちゃんと立ち向かいたい。それを来年中に出したいです。
ミニが長生きしますように。病気とかになりませんように。
もう少し痩せたいです。ジムにいきたいです。
英語がきちんと話せるようになりたいです。
あ……だんだん願い事が、日常的になってきた。
明日、ちゃんと起きられますように……え、そんなことまで。
明日の編集で、うまく、時間通りにおさまりますように…これは「願いごと」ではないか。
えっと、明日編集が早く終わって、家に帰って、すでに返却期限の切れているDVD「黒い眼のオペラ」(ツアイ・ミンリャン監督)をゆっくり見られますように。
ミクシイの「みんなの農園」のもらえるはずだった200RGがちゃんともらえますように。
えっと…あとは…
カリブ海に行きたい。また、潜りたい。
えっと…あとは…
ゼリーとか作りたい。
……
とりとめがなくなってきたので、このへんで。
おやすみなさい。みなさまにとっても、願いの叶う、よい七夕でありますように。
星に願いを!


