山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

保守化するツイッター

ツイッターをやっていると、これまで決して知りあうことのなかったひとの言葉を読むことになる。

考えてみると、自分のいる世界はとても狭い。テレビの世界、出版の世界、映画の世界と、いわゆるマスコミの世界が中心だし、友人のほとんどが同じ業界のひとだ。

自分は血縁関係の人たちとほとんど接触しないので、自分の世界というのは、ある意味、自分と似たようなひとたちばかりが生息している場所なのだった。

どういう人かと言えば、社会がどうなっていくか、とか、今はどんな時代なんだろう、とか、基本的に社会、歴史、文化に興味があり、映画や本やテレビや音楽やいわゆる芸術に強い関心を持つひとたちである。

そこでは、ある程度の共通認識がある。共有している情報というか常識みたいなものがある。というかあった。

けど、ツイッターの世界はまったく別だ。共通点がほとんどないひと。生活習慣にしろ、考え方にしろ、全然重ならない場合もある。なので、それらに接していくのはとても新鮮だ。時に非常に驚く。

自分は、21世紀を生きているつもりだったけど、自分が思うほど、世界は成熟していないのかな、と思う。案外、保守的なひとが多いのだ。もしかして、それこそが日本の縮図であって、自分が日頃接しているひとたちのほうが、少数派なんじゃないか…と今更思う。

あーなんか、まどろっこしい言い方かな?

けれども、そういう意味でもツイッターって有効だよなあ。そんな風に実際のひとのつぶやきを聞く機会なんてそんなにないもの。

取材のとき、いろんな人に会うし、いろんな話を聞くけれど、たいていテーマがあっての取材だから、ツイッターみたいにランダムにいろんな話を読むことってない。勉強になる…とも言えるけど、時に呆然とする。

なんにも変わってないじゃないか……とかね。

この世は実はとても保守的なひとたちによって、構成されているんだって、知りたくなかったことを時々、思い知らされます。がっくし来る。

自分は、そうじゃない面ばかり見ようとしてきたのかも知れないな。理想ばかり追いかけて。実際はさ、ちがうのに。

そんなことをツイッターのタイムラインを見ながら思いましたとさ。

ア、デモ、すっごい共感出来る人にも出会えたことも確かだから、それもツイッターのいいところなんだけどね。が、案外、ツイッター上で知りあい、共感するひとって結局、同じ業界だったり、近い業界だったりするから、それはそれなんですが…笑。