数日前に、DVDで「サイタマノラッパーSR」を見ました。
今年の日本映画監督協会新人賞受賞だし、いろんなひとが褒めていたので、見たいなーと思っていたけど、機を逸し、劇場では見られなくて、DVD鑑賞となりました。
なるほど、こういう作品だったのかー。
見る前に、評判ばかり聞いちゃうと、構えて見るところがあって、その影響は否めないな。特にこの作品は、映画通みたいなひとが褒めてたので、どっかで「すっごい映画らしい映画」じゃないかと思っていた。
そしたら、意外と想像していたような、映画らしい映画ではなかった…っていうか、「映画らしい映画」ってそもそもなにさ?ってことだけど。いや、ある意味、映画らしい映画でした。
とてもストレートな作品。崖っぷち、出口なし…みたいな埼玉在住のラッパーが、ラップをやりつづけようとして、ライブの計画をたてるけど、そこまでも行き着かない…という、お話。
ありがちな結末は、いろいろあったけど、仲間が集まってきて、ライブやって、成功!もしくは、成功ってわけじゃないけど、なんか、楽しかったよなー、一体感あったよなーって感じで感動的に終わる。
テレビ的音楽ものだったら、そういう結末を目指すだろうな…。ライブにカタルシスを持ってくる。
が。
この作品では、ライブのシーンはひとつもないのだ。ところどころでラップは歌われるけど(…ラップは歌われる…という表現でよろしいのかしら…間違っていたら失礼)、一曲が最初から最後まできちんと流れることはない。
まず、ラップの映画であって、映画のためのラップじゃない…って感じなのに、ラップを堪能させるようなサービスシーンはないんだな。そこらへんがある意味ストイック。
安易な感動とカタルシスを禁じている…って書くと、シリアスな印象を受けるけど、全体的にはゆるゆるしていて、昔懐かしい8ミリによる自主映画を思い出させる。巧妙にワンシーンワンカットだったりするし。
そんなわけで、期待とはちがっていましたが、よかったです。中途半端な閉塞感が、今っぽい。それとも、それこそがラップなの?ラップについて詳しくないからわからないけど…。
それと、埼玉がそれほど東京と遠い…心理的にもいろんな意味でも「遠い場所」として描かれていたのに驚いた。埼玉ってすでに、首都圏で、広い意味で東京とあんまり変わらないのかと思っていたから。
東京へ行くってことが、それほど決意のいることとは思えなかったし、東京にいても埼玉にいても同じなんじゃないかと思っていたから…
でも、それは東京にいる側の論理で、埼玉にいたら、東京は特別って思えるのかもしれない。
ほんとは同じなんだってことは、来てみないとわからないってことなのかな…。
東京も中途半端に閉塞感あるんだけどねー。