山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自由と注文

再び、チャイコフスキーのことを調べている。

なんとな~く、ロシア担当なので…。

で、最近仕入れたことですが、チャイコフスキーは、オペラや交響曲の作曲家として、それなりの地位を築いていた30代のころ、バレエ音楽の作曲を始める。

当時…19世紀末ですね、バレエは貴族のお楽しみ…程度のもので、まだ、芸術にはいたっていなかった…。それでも、華やかできらびやかなものが好きだったチャイコフスキーは、バレエ音楽に着手する。

そして生まれたのが、「白鳥の湖」。世界でもっとも有名なバレエ曲である…。

この時彼は自由気ままに、熱意を込めて作曲したらしい。そして、すばらしく完成度の高い作品が生まれた。

が、バレエが上演されると、さほど、人気はでなかったらしい。音楽が先を行きすぎて観客も踊り子もついてこれなかったようだ。

これがトラウマになり、チャイコフスキーは10年間、バレエ音楽に手を出さなかった。

10年後、注文を受けて作曲をする。それが「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」。このふたつは、作曲するにあたって、振り付け師から細かい注文書をもらい、注文通りに作ったらしい。

この2作品はそこそこの成功を収めたけれど、作曲家が存命中は、大きな評価は得られなかったそうだ。

チャイコフスキーが亡くなって2年後、追悼バレエ公演が開かれ、「白鳥の湖」は絶賛される。これがきっかけで、「白鳥の湖」は、100年たっても、何度も上演される、バレエの代表曲となった。

なぜなら、音楽的にもっとも優れていたからである。

…さて、この話から何を学ぶか。

エンタメ業界で生活しているひとは、ちょっと立ち止まりたくなるエピソードではありませんか。

つまり、オペラを作るような高い志で作った「白鳥」は、先を行きすぎていたために、生きている間には評価されなかった。しかし、芸術性が高かったからこそ、後年、発掘され、現在まで生き残ることができた。

ほら…悩ましいでしょう。

己の信念と芸術性優先で作ると、評価されない可能性は高いってことですよねー。

すぐにたくさんのひとに受けようと思ったら、「わかりやすい」「今の人が求めるもの」を作っていかなくっちゃ。その方が、成功しやすい。

が、その作品が100年後も残るかどうかは怪しいところ。

だからといって、己の信念に忠実に制作したら、生きている間は評価されないかもしれないし、死後も同じかもしれない。

あるいは、「注文通りに作る」ということ。

「白鳥」には注文書などなく、チャイコフスキーが、自分勝手に、独自のバレエ音楽を作り出したわけで、ある意味、当時のバレエ音楽の常識を越えていた。

常識を越えていたからこそ、100年残った…ともいえる。

バレエの常識、注文書通りだと、それなりの作品はできるかもしれないけど、そこで終わってしまうかもしれない。

いろいろ、考えてしまうわけです。

やはり、テレビでも映画でも、画期的なものっていうのは、最初はなかなか受け入れられないものだし。

コレ以上語ると、なんだか、ゆらぐのでここまでにしておきます。

(まあ、頼まれ仕事でいい作品ができちゃう場合もあると思うので、一概には結論できませんけどねー)。

というか、前提として、やっぱりチャイコフスキーは天才なので、天才と同じレベルで比べても意味ないかもしれませんけれどもね。