山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

理想の獣医師とは…?

当分、日記をお休みすると書きましたが、結局、書いてしまっています。

なんというか、書くと楽になるというか、言葉にしないといられないというか、そういう因果なところがありまして、結局、書いております。

ただ、肝心の話については、今、書くこと、触れることができませんでして、そこらへんは割愛させていただきます。

励ましのメールを下さった方々、本当にありがとうございます。ちゃんと読んでいます。心優しい言葉に、すぐに返事を書きたい気持ちはあるのですが、冷静に対処できる自信がなく、失礼させていただいております。

ツイッターも少し前からやめておりまして、ダイレクトメッセージを下さった方々へも返信できずにいます。

ごめんなさい。どうしようもなく、弱いもので…自分。

最悪の精神状態からは徐々に脱出しつつあります。日々の仕事をすることと、時間の流れによって、少しずつ、平静に向かっています。

しかし、本当につらかったです。今もつらいです。どれほど、自分がその存在に依存していたかを知りました。

フラッシュバックのように、いろんな瞬間を何度も思い出し、なにが悪かったのか、どこで間違えたのか、どうすれば良かったのか…という思いに取り憑かれておりました。

一番の解決はタイムマシンに乗ることで、時間を戻し、まだ間に合うところからやり直したい!ということです。そんなこと、できるわけないのに。

あとは、自分の悪い癖で、真実を知りたい、真相を知りたいという思いが離れず、調べられることは全部調べる覚悟です。それぞれの病院と医師に取材…じゃないか、話を聞きに行く予定をたて、順序立てて考えたいと思います。

そして、それはどのような形になるかわかりませんが、自分のなかで、整理してまとめたいと思っています。

それはノンフィクションなのか小説なのか、映画なのかわかりませんが、このままではどうしてもやるせないので、一連の出来事をなんらかのかたちで、作品…と呼ぶのは心苦しいですが、かたちにしたいです。

初めの強烈な悲しみのあとにやってきたのは、「なにが悪かったのか」という問題です。言ってみれば、日本の獣医学環境についてです。

犬猫のための獣医の目的はなにか?なにを理想とするのか。そこらへんの共通認識がまだ、日本では、できていないのではないか…というところへ思い当たりました。

(獣医ドリトルでも言ってたけど…)。

人間なら、人間の命を救うことが第一ですよね。でも、ペット…嫌いな言葉です…愛玩動物…人間に愛されることを目的とされた動物を対象とする、獣医学とは、なにを理想とするのでしょうか。

私は、やはり、飼い主と動物、そのセットで考えないといけないのではないか…と自分の深い悲しみを棚に上げて思うのです。犬猫が病気になった場合、患者は、その犬猫のみではないのです。

飼い主もまた、犬猫と同じに病に苦しんでいるのです。そこには、「いいじゃないですか、犬なんだから」なんて視点はないはずです。この温度差について、考えたいのです。

それは、一頭の犬に過剰に愛情を注いだ自分が、一瞬にして、闇に落ちた時、気付いたことです。

自分もまた、患者だったのです。いえ、もちろん、もっと簡単に乗り越えていけるひとたちもたくさんいるのだろうけれども、一方で、立ち直れないひとだっているはずです。自分のように。

犬猫を対象とした、獣医師の理想とはなにかについて、真剣に考えたいです。

理想の獣医が今、存在するかどうかって問題ではないです。何事も、「理想」はあったほうがいい。獣医はビジネスオンリーであってはならないけど、実験であってもならない。

そこらへんの説明の難しいところについて、ちゃんと調べて、考えて書きます。ブログにも書くけど、本かテレビかにすると思う。どこの出版社ともテレビ局とも別に話つけてないけど、そんなことはあとから考えればいいことで、自分のなかで、この気持ちを昇華させるのは、それしかないから。それをやらないといけないから。

犬の神様が自分に使命を与えたと思っています。