山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

上野千鶴子著「女ぎらい ニッポンのミソジニー」

今は、上野千鶴子さんの新刊「女ぎらい ニッポンのミソジニー」(紀伊國屋書店)を読んでます。

なんと、上野さんから献本してもらったんぞ!(自慢!)

今は、ご存知のようにたいへん辛い時期でして、これまでのようにいろんな出来事を受け付けられなくなっている。

かろうじて、テレビの仕事はやりきったけど、映画を映画館で2時間見られるだろうか…って心配があるし、(暗闇に入ったとたん、恐ろしいものに捕まえられそうな気がする…)、悲しみを刺激しそうな本は読めないし、歩けない場所や、行けない場所、見られないものがいろいろある。

やばそうなものが近づいてきたら、隠したり、目を伏せたりして、悲しみのるつぼに落ちないようにつとめています。そうなると、つらすぎるので。

そんな暮らしのなかで、「女嫌い~ニッポンのミソジニー」には随分、救われた。だって、フェミニズムの基本みたいなことが、とっても爽快な文章で書いてあるから。

自分が高校生のころ、この世の中はなんかヘンだ、文学とか小説とか言われるもののなかにも、なんだか、気持ち悪いもの、居心地悪いものがある、それってなんだろうって思った最初の疑問みたいなものについて、あたらめて、明解に答えてくれている。

それって、つまり、たいていの男のひとは、本当は女がキライだってこと。

いやいや、そんなことはない。俺はこの世で一番の女好きだよ…!なんて言う男子がいるかもしれない。でも、彼のいうところの「女好き」っていうのは、自分にとって、「都合のいい部分のみの女」を意味しているのであって、しかも、その女とは、若くてカワイイコオンリーをさすってことに案外気付いてない男は多い。

自分はフェミニストですよーとか、気の強い女も好きだよーとか言う奴ほど怪しいからね。

そういうシンプルで原初的な、ちょっとものを考えたことのある女子なら誰もが一度は疑問や怒りに思うことについて、びしびし言葉にしてくれています。ここまで書いて大丈夫?ってくらい。

そして、こういう本をまともに読める男ってこの世にいるのかなあって思うくらい。

とにかく、そういうまっすぐな本なので、自分のなかの悲しみに触れることなく、私自身が、自分をとらえ直したときの、10代の気分に連れ戻してくれる、あっぱれな本であります。

真実は強く、いつでもひとを勇気づけるって思いました。