山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「エクスペリメント」

今日は、「喪の仕事」のため、やや遠方まで出かけ、そのあと、都内で、映画「エクスペリメント」の試写に行った。

(喪の仕事について、おって、細かく報告することになると思う。自分がミニを亡くして、どうなって、どう考えて、どう行動したかについての記録である。)



これは、2002年に日本でも公開された、「es(エス)」(2001年)というドイツ映画のリメイク…というか、「エス」が題材にした実際にあった心理実験を描いたもの。

ちょうど、「es」は見ていたので、それがハリウッドで作られるとどうなるのか知りたかったので見にいった。

まず、前提としてとある事件がある。それは、1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた心理実験。心理学者のフィリイプ・ジンバルという博士が、肩書きや地位でひとの心がどんな風に変化するかを調べるために、普通のひとに被験者となってもらい、看守役と囚人役に別れて、疑似刑務所で暮らしてもらう…というもの。

2週間の予定で始められたけれど、6日間で、事件が続発して中止になり、ドイツで映画になった時点ではまだ、係争中だったそうだ。

とにかく、ドイツの「es」はハードな映画だった。見終わって、げっそりして、いや~な気持ちになった。こんなにも人間は愚かで恐ろしいのかと思い知った。また、この作品の撮影方法が、ドキュメンタリーかと見まがうほど、リアルで、誰かひとりを主人公にする…というよりも、出来事を淡々と撮影していった…ように見えたからである。

それゆえ、さらに恐ろしかったのだ。ドイツ映画なので、見覚えのある役者はまったくいず、だから、物語を見ている…という気持ちになれなかった。凄惨な実験の記録を見せられたような不快感があったのだ。いや、不快だったけど、映画としては完成度は高かったと思う。実際、10コくらいの賞を受賞しているようだ。

それから、10年近く過ぎて、ハリウッドで映画化されたのが本作。テレビドラマ「プリズンブレイク」の企画制作者であり脚本家が監督・脚本を勤めている。

こちらはハリウッド作らしく、はっきりと主人公がいる。「戦場のピアニスト」の主演のエイドリアン・ブロディ。このひとって、普通にしてても悲しみが張り付いているような、切ない顔の持ち主だよなあ。出てきただけで、なんか、悲しい。確か、「ダージリン急行」(好きな映画)にも出ていたよなあ。それはいい話だったけど、どうも、悲惨な作品が似合うようだ。

で、この作品は彼を通して描かれている。彼の正義感や暴力に対する考え方を主軸に見ていき、実験前の生活があり、実験での事件がたくさんあり、その後の彼の生活も描かれている。

つまり、実験そのものの映画化というより、実験に巻き込まれたひとりの、平和主義者というか、暴力に屈しない男の物語として見ることができる。そして、ハリウッド作品らしく、ドイツ版よりは後味が悪くない。その理由を書くとネタばれになるのでやめておく。

映画のなかでは、看守役に選ばれた奴らが、単なる実験、単なる「役」に過ぎないのに、次第に、本当の看守のようにふるまい始め、囚人たちを支配し、横暴に扱うようになっていく。囚人たちは、自分たちは、「囚人役」なんだから…と気楽に構えているのに対して、看守役になった奴らは急激にその役柄にシンクロしていく。

この実験の詳細…つまり、看守になったら、支配欲を発揮しそうな奴らをあえて、看守に選んだのか、それとも無作為に選んだのに、結果、そうなったのか、詳細はわからないので、なんとも言い難いけれども、「人間は立場や役柄で、容易にその正義感や倫理観を変える」ってことを言いたいのかもしれない。

この結論って、たぶん、かなりの事実なんだろうけれども、この苦い事実に、惑わされるのはあんまり正しくないように思うのだ。

同じようなことが、アウシュビッツでも行われたというけど、つまり、リーダーにふさわしくないものをあえて、リーダーにすることで、ひとつの集団をより悲惨に導く…というもの。

けど、実際には、リーダーにふさわしくないものは、リーダーにはなれない。チリの落盤事故を見ても、立派なリーダーのおかげでみんなは助かったわけだ。

「実験」のような悪意が存在しなければ、リーダーにふさわしくないものがリーダーになる確率って少ないんじゃないだろうか。

そんなことを言っている自分は、おめでたい、ハッピーなひとかな。

いや、もちろん、例えば、社長の息子ということで、リーダーの素質がないのに、社長業を引き継いで、ひどいことをやってしまう…みたいなことはあるだろう。けど、それは自滅していくんじゃないだろうか。

悪意と実験がなければ、ひとはそんなひとをリーダーにあえて、選ばないから、こんな事態にはそうそうならないのではないか…というのが、私の人類に対するささやかな希望的観測。

そんなことないか、ひどいリーダーの国もあるもんね。そうか。今でもね。

そんなことを帰り道でつらつら考えた。いろいろ書きたいこともあるけど、ネタばれになっちゃうので控えておきます。

肩書きや役割りでひとは暴走する…ってことは、否めないことであるから、それを思い知るために、見ておくべきものなのかもしれない。

実際、自分も肩書きというか、役割りに随分、支配されている。自分は、基本的にリーダータイプではない。ひとの上にたったり、指示したりするのがすごく苦手。ひとりでなにかやっているほうが、向いている。にも関わらず、ディレクターとか監督業もやっているので、そのときは、「指示するひと」の役割りをしないといけない。

非常に負担が強いんですけど、その時は多少人格を変える。20代からやっているので、この「仕事のとき、人格を変える」癖はついている。「仕事」だと思いこめばできることも多い。知らないひとと話すのは、普段はものすごく苦手で、ほとんど、誰とも口がきけない。世間話などができない。

が、ひとたび、取材となると、誰とでも物怖じせずに話すことができる。そのせいで、やくざのひとに取り囲まれても割と平然と話ができたり、かなり暴力的な場面でも、自分を失わないでいられたりしたこともある。

一方で、「素」のときは、非常に弱いので、ひとことも口がきけなかったりする。どっちが本当に自分かと言われたら、もはや、どっちだかわからなくなっているかもしれない。

そんなわけで、話を映画に戻すと、公開は、12月4日からだそうですので、お知らせしておきます。