山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ベスト10の意味。

ツイッターをやっていると、今年の邦画ベスト10とかテレビドラマベスト10とかを書いているひとをよく見かける。

一年間に見たもののなかで、面白かったものに順位をつけているようだ。それはそれで自由だし、とやかく言うべきことじゃないけど、でも、ちょっと気になる。

なんで、ベスト10みたいに、いちいち順位をつけるんだろうって。

いわゆるメディアが、今年の人気ドラマベスト10とかを発表するのは、あくまで、投票などによるものである。たくさんのひとの意見をまとめて順位づけしているのである。多数決である。

興行成績しかり、視聴率しかり。

それはある種の必要悪であり、映画やテレビといえども、「産業」であるから、結果を集計しないといけないわけだ。興行成績も視聴率も、「売り上げ」や「儲け」につながるからである。

(本とかもねー)

もちろん、観客が作品を選ぶための指針(きっかけ)にもなると思う。

けどさ。個人がなにも、ベストテンをいちいち並べなくていいんじゃないかって思う。だってさー、そんなに順位ってつけられるものなのだろうか。だいたい、なんのために?

まあ、一番好きってやつはあると思う。最近見たなかでは、これが一番!ってことはある。けどさー、そこから先にも、順番ってあるのかしら。

順位づけすることを楽しむ…という遊びなのだ…あるいは、順位をつけるというひとつの批評のかたちなのだ…ということだろうか。

けど、順位づけが批評なら、なんだかつまらない視点だと思うなあ。

多くのマスメディアが採用している方法におもねらなくてもいいのに。自分だけの切り口で語ればいいのに…と思う。

自分たちの人生がそもそも、偏差値を初めとして、年収、身長、体重、胸囲(笑)、持続時間(笑)など、常に数値で判断されているから、つい、なんにでもその物差しを使ってしまうのだろうか。

順番に並べたことで、ある種の安心感を得られるのだろうか。

順位づけの好きなひとは、血縁関係のなかでも、好きなひと、ベスト10とかもやるだろうか。

一番は妻で…いや、最近は娘だな、二位が長男だ。実家のお母さんが三番で、妻は四番さ…ははは…みたいに、人間にも順位をつけているのだろうか。

好きな上司ベスト3とか、社員食堂の好きなメニューベスト20とか、キャバクラベスト100とか、それはもう、世界中のあらゆるものを順番に並べているのだろうか。

そして、きっちり並んだ、自分がつけた順位を見て、なにを思うのだろうか。

全能感? 世界を並べ替えることのできる力を得ること?

なんだか、順番に並べたことで思考停止しちゃいそうな気がする。よし、2010年は並べたぞ、終わり…みたいな。

まあ、昨日の日記に書いたように、自分も毎日することをリストアップするような人間であるから、順位付けするひとを悪くは言えないか。

いや…自分もね、常に並べられる対象にあるのか…と思うと、軽いショックを受けるからだった。

そんなに簡単になんでも並べないでね、とわたしは言いたい。

そうじゃなきゃ、こっちも順番にならべてやる。

わたしのベスト10だ。

一位は犬だな。いや、ミニだ。いや、カナもだ。いや、昔飼っていたムクもいれたい。今の一位は心情的に犬だ。犬が、優勝だ。

二位は、人生でうれしかったのは、自分の小説が本になったことだな。

三位は、そろそろ寝ないとやばいってことだ。明日、打ち合わせがあるぞ。

四位は、やせなくっちゃ…だ。12月のフランス、イギリス、暴飲暴食の旅から年末、宴会三昧、正月ごちそう三昧のつけを払わないといけない…。

ここまで書いて来て、なんの順位かわからなくなったが、これは、「頭に思い浮かんだこと」を順番に並べただけでした。

深夜に悪態をつくのはこれくらいにして、最近、かわいかった、私が撮った動画ベスト1のうちのいくつかをアップしたいと思う。あ、ひとつね。でもベスト1とかってわけじゃなくて、かわいいもの。



1月3日に八ヶ岳の犬牧場に行った時に撮ったゴールデンの子犬たち。

テラ、かわいかった。

あ、数字使ってるね、自分も。