山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

神様のいない世界で。

エジプトで大規模なデモが起こり、国内が混乱状態になっている。デモが広がったのが、facebookやツイッターを通じてだった…ということも関心を集めているようだ。

facebookやツイッターで広まった…っていうと、デモをしているひとたちの目的が、一瞬、アメリカ的な民主主義を求めているように、誤解されがち。

デモ=民主化 っていう風に、私など、短絡的に想像してしまうから。

韓国だって、90年代の民主化運動のすえ、軍事政権を倒したという歴史がある。

けど。

エジプトで、今の時点で、デモをするひとたちが求めているのは、ムバラク大統領の退陣であって、そのあとの世界がどうなるのかは誰にもわからない。(いえ、わかっている方もいらっしゃるのかもしれませんが、)自分はわからない。

だいたい、ムバラク大統領は、親米の大統領なのであるから、「親アメリカ的」なものを求めてのデモじゃないよね。

facebookやツイッター(=アメリカ的なもの)をきっかけに、デモが広まり、結果、親米政権が倒されそうになっている…という皮肉を面白がることもできるけど、まあ、それはそれだけの話。

デモが広がったツールではあったけど、その運動を支えたこととは別のお話だろうと思う。

2009年の夏にカイロに行った。目的は、イスラム世界の結婚、恋愛、セックスについて調べるためでした。

アラビア語の堪能なコーディーを雇って、20名の男女に個別インタビューして、話を聞いた。

自分が知りたかったのは、「インターネットによって、西側の(…イスラム社会ではない)世界の、結婚や恋愛の情報が入ってきて、普通の若者はどう影響を受けたのか…」ってことだった。

あさはかな自分が想像したのは、「西側みたいに自由な恋愛がしたい」ってきっとみんな思っているだろうと。

だって、ネットを通じたら、アメリカのテレビドラマも見られるし、日本のロリコンエロ漫画も読めるし、婚前交渉ができる世界があることを知る…その自由さはうらやましがられるものに違いないと。

けど、ちがっていた。

予想に反して、そういう自由な…と自分で書いていて、本当にこれが自由なんだろうかと疑問に思えてきたけど…自由な恋愛、結婚、セックス環境に憧れているひとがほとんどいなかった。20人のうち18名はノー!と答えた。

イスラムの世界では、妻を四人まで持つことができるので、もしかしたら、男性にとっては、居心地のいいものなのかな…とは思っていたけど、女性も同じ意見だったので、驚いた。

アメリカの大学に留学し、IT企業で重要なポストについている女性(20代)でも、「西側的自由な恋愛世界」について否定的だった。

イスラムの世界では、婚前交渉は禁止であり、デートだって、そんなに自由にできないし、人前で手を繋いだり、キスしたりなんてもっての他である。厳しい家庭だと、デートに相手のお姉さんがついてきたりする。

女性が布で髪を隠しているのも、夫以外の男性に髪を見せないためである。

そんな不自由な…と思う私に、彼女は言うのである。

そっちのほうがかわいそうに見える。幼いころから、恋愛に振り回され、傷つき、へとへとになってませんか?結婚しても簡単に離婚し、浮気は日常で、エロ情報が町中にあふれて、うんざりしませんか…女は男の性的対象でしかなく、消費され続けてるでしょ…と。

いや、ごもっとも…であった。

(すぐさま、いろんな反論の方法を思いつくけど、しなかった。ちょっと惹かれる部分があったからだ)

イスラムの世界では、恋愛より以前に神(アラー)がいるのである。

ここではまだ、神は死んでいない。

神様のいる世界では、すべての出来事は神様に照らして考えることになる。

ある男性は言った。ネットでエロ画像を見て、マスターベーションしちゃって、そのあと、すごく怖くなったって。神様が見ていたはずだって。

(いや、男子はみんなそういうもんだよ…と笑うかもしれないけど、笑えなかったよ。もちろん。…震えて告白してくれたそのひとの罪悪感の深さを思うと…)

カップルの場合、日本で浮気したら、怒るのは相手(=人間)だ。だけど、イスラムの世界で浮気したら、神に怒られるんだよ。

神様に怒られるのと、相手に怒られるのと、どっちが怖いかしら。

神様のいる世界って、すごく安定しているんだなってことを感じた。いろいろあるかもしれないけど、神様を信じることにして、そのルールに則って生きると決めることは、たぶん、ずっと楽なんだろうと。

いやいや、困難でも自由を!…と言うかも知れない。(自分は、言ってきたし、割と実践してるけど)。

でもさー、神様のいる世界の安定を否定することなんてできないと思いました。だって、その神様に変わる存在って、作れないもの。哲学者はそれを考え続けることができるけど、普通のひとにとってはきついよね。

今のところ、西側では、神にかわるものは、「数」のような気がする。お金…というより、「数」のような。たくさんのひとが信じるものが、信じるにあたいするものである…というような。

いえ、こんな広大な哲学論を書く予定ではなく、エジプトの今後が気になる…ということを書きたかった。facebookがきっかけで始まったデモでも、その後の世界は、よりイスラムに忠実な世界になるかもしれないなあと。

あの頃、インタビューした若者たちの横顔を思い出しながら、神様のいる世界の幸せについて、思った。

まとまりきらなくて、失礼しました。