山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ノルウエイの森」再び。

映画「ノルウエイの森」について、再び、書きます。

自分なりの解釈はもう、終わっているんだけど、村上隆さんが絶賛していると聞いて、どのあたりを褒めているのか知りたくなったのでした。

それは多分に、「芸術闘争論」を読んでしまって、この方の考え方に興味を持ったからです。

(正直に言うと、共感…というのではなく、むしろ、違和感のが強いのですが、それでも、なぜか気になって)

で、ツイッターにまとめられているものを読みました。

けれど、村上さん独特の言い回しで、普通に読むとなにを褒めているのか、ちょっとピンと来ない。

でも、自分はわかったような気がしました。

なぜなら、「芸術闘争論」と同じことを仰っているから。

映画「ノルウエイの森」は、日本の映画評論家や、映画好きのひと、原作ファンにいたって、あまり評判がよくなかったようです。

わりと酷評されているのを見かけました。

なのに、なぜ、村上隆さんは褒めるのだろう。どの辺を褒め称えているのだろうと。

で、結論からいうと、村上さんが褒めているポイントは、

この映画が、「現代アート」の作品のようだから、です。

まさに、村上隆さんの作品のようだからです。

一般的な映画ファンにとって、映画を見るときに、注目するのは、ストーリーが面白いか、役者の演技は役にはまっているか、映像は美しいか、音楽は効果的なのか、…などのポイントです。

しかし、村上さんはそういう視点から見ていない。(たぶん)

絵画の世界でいうと、旧来の映画とは、印象派のモネの絵みたいなものなのではないでしょうか。

美しい女性や風景を、美しく描く。誰が見ても、「あ、これは野原だな」とか「これはきれいな女性の肖像画だな」とわかるようになっている。

色使いやデッサン、構成などが優れている。これが絵画であると。

一方、現代アートというのは、絵がうまいかどうか、ではなく、なにを意味しているかが最も重要とされています。

なので、陶器の便器をぽつんと置いただけ…とか、キャンバスを一面、ブルーに塗っただけの作品も存在するわけです。

現代アートを初めてみるひとは、「なに、コレ?」「わけがわからん」…となります。

しかし、そこには、目に見えるもの以上に語られた意味ががあったりするわけです。これをハイコンテクストというようです。

で、これこそが現代アートであって、それは、絵画芸術のもっとも進化したかたちなわけです。

なので、その方式を同じ芸術の一分野である、「映画」に応用すれば、よくできたストーリーとか、上手な演技とかは、どうでもいいとまでは言わないにしろ、副次的なものであって、大切なのは、その作品が提示する意味なわけです。

しかも、その意味が、副次的であり、文脈によっていろいろ解釈できるというのが、なおさら、よいわけです。

その意味において、「ノルウエイの森」は優れていると熱く語っているのだ…と思いました。

で、自分の話です。

自分が考えた「ノルウエイの森」の解釈もある意味、ハイコンテクストです。

ストーリーの面白さとか、俳優の演技とかで、解釈するのではなく、映画=作品が、はからずも(はかったのかも知れませんが)提示してしまったものについて、語ったわけです。

(わたしはこの映画を、ロマンチックラブイデオロギー(純愛主義とでも考えて下さい)の犠牲者の物語と解釈しました。詳しくは、この日の日記へ。)

そういう意味では、私は、村上隆さんと同じアプローチをしているんだなと思った次第です。

私は、原作との違いについてとか、興味ありませんでしたから。

そして、もう少し話を先に進めると、絵画の世界に、現代アートがあるのに対して、映画の世界はどうなっているのだろうか…と。

シナリオや演技や映像表現の優劣で評価されるのが、「印象派時代の絵画」的方向だとしたら、現代アートのような、最先端の映画ってどうなっているのだろう。

小説でいえば、かろうじて、純文学ってやつらになります。先日、芥川賞をとった、「きことわ」などは、現代アートの立ち位置の小説ではないかしら。(と言いつつ、未読なので、間違っているかもしれません、すみません)。

小説の世界では、今でも、大衆小説VS純文学という、くくりがかろうじてありますけど、映画はどうなのだろうと。

小説の世界にならって言うと、純映画っていうのは存在するのかと。

少し前に見た、「ゴダールソシアリズム」とかは、純映画になるのかな。

…っていうか、村上隆さんは、「ノルウエイの森」を純映画として、とらえて褒めているのだなと思います。

…ということを整理して書きたかったのです。

そして、自分自身、時々、立ち止まってしまうから。なぜなら、今の映画は、「印象派のモネ」のような作品が多いから。

もちろん、モネの絵画が今の時代も多くのひとの心を打つように、そういう映画がすばらしいことはよくわかっているのですが。

けど、時に、優れた純映画に出会いたいなーと思うのでした。

あ、それが「ノルウエイの森」か。そうとも言える?