ツイッターで、歌人の枡野浩一さんが、不思議な詩…詩みたいなものを書いている。
たとえば、タイトルにした、「大切なものはみんな君が教えてくれ」
言わずとしれた、現在、フジテレビで放送中の「大切なものはみんな君が教えてくれた」のもじりである。
普通、大切なものは、自分で見つけないといけないし、「君」が教えてくれたっていうのは、そこにあった美しい関係を称えているようで、「よき話」である。
一方、「大切なことはみんな君がおしえてくれ」というのは、なんとも無責任で、ダメなフレーズだ。
大切なことは、自分で探せよ…と言い返したくなる。
でも。
ちょっと惹かれるよね。
すぐ「自己責任」とか「思考停止」は悪いとか、誰もが語りがちな、ありきたりなフレーズに対して、ノーをつきつけているみたいで、心地いい。
このほかにも、枡野さんは、「くじけな」という詩も書いている。
これは、大ベストセラー「くじけないで」のもじりである。
もっと前に書物になっているものでは、「淋しいのはおまえだけじゃな」というのがあった。
これも、市川森一さん脚本の名ドラマ「淋しいのはおまえだけじゃない」のもじりである。
とってもうまいな…と思う。
「くじけないで」とか「淋しいのはおまえだけじゃない」というのは、ストレートにぐっとくるフレーズである。
くじけそうなひとを励ましたり、淋しいひとを勇気づけたり、しごく、まっとうで「善良な」言葉である。
けど。
どっかでそういう、「まっとうさ」や「善良さ」に「本当に?」って気持ちになることがある。
そんなにいいひとだっけ、あなた?っていう気持ち。
いや、こういうフレーズに居心地の悪さをまったく感じないひとはいい。そういうひとは、それでいい。
けど、なんか、照れるというか、そこまで自分いいひとじゃないんです、思っちゃうひとは、友達になれそうだ。
自分も時々、こういう格好いいフレーズをドラマのなかの登場人物に語らせたりする。
けどさー、どっかでさー、「なわけないじゃん」って思ってたりする。
しかし、メジャーな作品は、寸止めまえのフレーズを要求するんだよね。
…おっと、愚痴になってきたので、やめるけど。
前向きに未来を語るのも素晴らしいけど、いつも、そこで、ちょっと居心地の悪い自分がいる。
だから、クリストファー・ノーラン監督の映画とか好きなのかもしれない。
…急に話が飛んで申し訳ないけど。
昨日まで、レンタルdvdで、クリストファー・ノーラン祭りを勝手にやっていて、「following」「バットマン・ビギンズ」「インソムニア」と立て続けにみたので。
続く「ダークナイト」も傑作だし。
この監督も、ストレートな前向きなフレーズは言わないと思うな。
…ということで、自分が見た世界を、あるがままに書けるようでいたいよね。
修行が足りてないけど。自分。
今日は、深夜まで、若手の女子プロデューサーが遊びに来ていたので、いろんな話ができて楽しかった。