山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

岡本かの子

松尾スズキさんが出ているので、NHKドラマ「TAROの塔」を見ました。

画家の岡本太郎さんの自伝ドラマですが、全体的に再現ドラマっぽかったです。もちろん、事実とその人物像に迫る演出方法だから、ドキュメンタリー&ドラマのテイストになるのは仕方ないのかな。

松尾スズキさん目当てで見たのですが、おーすっかり、忘れていたことがありました。

岡本太郎といえば、その母は小説家の岡本かの子ではありませんか。自分が、10代~20代にかけて、熱心に読んだ作家です。

岡本太郎には正直あまり関心なかったんですけど、岡本太郎の語るかの子には関心があって、太郎の本まで読んだりしました。

かの子は、小説の邪魔になるといって、幼い太郎を柱に縛り付けて、書き物をするんですね。太郎は、そんなかの子を恨むことなく、自分を縛ってまで、小説に熱中する母親を美しいと思うんですね。

覚えているのは、長い黒髪が乱れた、母の後ろ姿…って書いていた記憶がある。

その岡本かの子を寺島しのぶさんが、迫真の演技で演じていました。ものすごく、かの子っぽいと思いました。狂気じみていて、どこか切ない…というか、今風に言えば、イタイひとです。

かの子は、村上春樹風に言えば、本人の内面に見合うほどの美人ではなかったんですね。内面は類まれな才能の持ち主であったけど、外見は、普通か、もしかしたら、ちょっと下だったのかもしれない。

けど、そんなこと気にせず、派手な服を着たり、濃い化粧をしたり、若い男にうつつを抜かしたりと、世間の決めた約束ごとなんか無視して生きていくんですよね。まだ、あの、厳しい時代に。

確か、谷崎潤一郎とかを結構気に入って近づいたらしいけど、(谷崎ってイケメンで売れっ子だったから)、谷崎から「気持ち悪い」とか言われて、嫌煙されていた…なんてことを読んだ記憶もある。

岡本かの子の小説のなかでは、「生々流転」というのが好きだったなー。

けっこう、めちゃくちゃな主人公(かの子に近い)が、家出したり、いろいろする波乱の人生のお話。

なかで記憶に残っている部分がふたつ。

ひとつは、「ひとは40歳を過ぎると根に戻る」って言葉。

40歳ともなると、若い頃、振り回されたり、信じたふりをしていたことから離れて、持って生まれた性格が出る…みたいなことを書いてました。

10代後半から40歳までの30年近くって、「恋愛」とか「仕事」とか「子育て」とか、いろいろあって、自分本来の志向より、いろんな雑念(あるいは、欲望?あるいは理想?)が混じって、いろんなことするけど、40歳を区切りにそういう「見かけのもの」がそげ落ちてくるということ。

自分も40歳を過ぎて、しみじみ、そう感じた。

「根に戻る」っていうか、子供のころの自分が戻ってくる感じ。だんだん、好きなことしかしなくなるし。ひととのつきあいでやっていたようなことはどんどんやらなくなった。

たとえば、スポーツとかね。興味ないことには近づかなくなる。

そして、もうひとつ覚えているのは、主人公が家出してきて、駅の近くをひとりで線路をつたって歩くシーン。残してきた家族にひどいことをしていると自覚しているのに、足を止めることができない。

それで、ふと立ち止まって、振り返って、自分が捨ててきたものたちがいる方向を見る。そして、申し訳ないと思いつつ、自分はこうやって、これからも大事なひとたちを、自分の欲望のために捨て続けるのだ…と観念する。

(自分の記憶によるものなので、間違っていたらごめんなさい)。

なんか、このシーンが、頭に強く焼き付いている。映像で見たわけではないのに、髪を振り乱した、あまり若くない、あまりきれいでもない女が、夜の線路にひとりたち、遠くの明かりを振り返るシーン。

その底抜けの孤独と、でも、それを背負って生きるしかできない女のどうしようもなさ。

読んだ時は、自分は10代でありましたが、即刻「わかる!」としびれるように思い、自分も真夜中の線路に立ったように記憶している。

そして、何十年も過ぎた後、実際、自分も真夜中の線路を逃げるようなマネをして、ふと、あの小説の一節が蘇ってきたのと覚えているのでした。

こうして、自分のなかにあの小説が生き続けているのね。

そんな岡本かの子にドラマのなかで会えてうれしかった。それに、今回は岡本太郎の話っていうより、圧倒的にかの子の話だったと思う。

それくらい強烈。

このあとも、かの子が出るみたいだから、見ようっと。